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山口流剣術とその時代   第五回

 会津に伝わった山口流小太刀術


土佐藩では、山口流剣術が無外流剣術の稽古の中でひっそりと生き延びたのに対して、藩の流儀として正式採用されたのが富山藩前田家と会津藩松平(保科)家です。 富山藩における伝承は、明治以降まで途絶えることはなく、「最後の剣聖」と謳われた中山博道にまで受け継がれました。


  会津松平家の藩祖となった保科
  正之。兄・徳川家光の名代として、
  姉・東福門院に謁見したときに、今
  泉又兵衛を召し抱えた。。

会津藩松平家と山口流剣術の繋がりは、初代藩主の保科正之が、承応2年(1653)10月10日に甥である四代将軍・徳川家綱の名代として、正之にとっては異母姉である東福門院和子に拝謁するために京都御所へ参内したときに始まります。
保科正之は、このとき御所の衛士で山口流剣術を学んでいた今泉又兵衛家利を三百石で召し抱えました。

山口流剣術には、太刀と小太刀のそれぞれに「目録」「免許」があり、「目録」「免許」は巻物で、その先の「印可」は書状で与えられました。
その先には、「奥伝」として「勝身」という心法の伝書が与えられ、最終段階では「感応」という一子相伝の巻物が授与されます。
今泉又兵衛は、山口流剣術の小太刀術のみを皆伝したのか、太刀も皆伝したのかは不明ですが、「会津藩家世実紀」には「山口流新小太刀兵術」という流儀で仕官したと書かれており、「小太刀」のスペシャリストだったようです。


 会津藩家世実紀は初代
 藩主保科正之から六代
 松平容住に至る176年間
 を編年体で記述した会津
 藩史である。

ちなみに、土佐藩に伝わる伝書によれば、辻月丹の師である伊藤将監が、元禄時代に江戸の辻月丹を訪ねたときに、辻月丹に対して小太刀で立ち合ったエピソードが残っています。
これらの話は、山口流剣術の技の中でも小太刀術が中核を占めていたことを示していると言えるでしょう。

ところが、今泉又兵衛は会津藩に採用されてわずか3年後の明暦2年(1656)12月に病死してしまいました。今泉家の家名断絶は免れたものの、息子の今泉茂太夫はまだ幼かったため、「家芸小太刀の業未秀につき、跡式知行の内、減らし下す」(会津藩家世実紀)とあるように、知行を減らされた上に剣術指南役を免じられてしまいます。
今泉又兵衛の没年齢は不明ですが、まだ息子が幼かったことから推測すると、高齢で病没したとは考えにくいです。また、例えば宮本武蔵が晩年に食客として肥後細川家に召し抱えられたのと比べれば、今泉又兵衛が正式に会津藩士として仕えていることや、「家芸小太刀」の教授が出来なくなると知行を減らされている点からも、あくまで小太刀術の現役として召し抱えられた、つまり会津藩に採用された時点で、まだ若かったと推測が出来ます。
なお、今泉又兵衛と山口卜真斎の没年が同じ明暦二年で名前の家利も同じであるため、山田次朗吉の『日本剣道史』には二人が同一人物と記載されていますが、これを立証する証拠はありません。同一人物であれば、今泉又兵衛は72歳で会津藩に新規に召し抱えられたことになり、山口卜真斎とは別人と考えた方が辻褄が合います。



富山藩では、富山に立ち寄った児玉勝信に師事した小柴貞義から始まり、明治維新まで御流儀として伝承されました。中山博道の弟子によって書かれた文献の中には、「山口一刀流」と記載したものがありますが、少なくとも斎藤重栄までの目録は「山口流剣術」です。おそらく「山口一刀流」というのは「一刀流」との関与を示したわけではなく、「柳生一刀流」と同じ程度の言葉のアヤだと考えられます。

今泉又兵衛から「山口流新小太刀兵術」の唯一の印可を授かったのは、会津藩目付役の鈴木多門重為(たもんしげため、後に小左衛門重為)でした。
鈴木重為が天和3年(1683)に63歳で江戸に死去した後は、息子の鈴木重知に継承されましたが、それ以降は続かず失伝してしまいます。

ちなみに、今泉又兵衛と同じ承応2年(1653)に会津藩に250石(後に300石)で採用された望月新兵衛安勝は、父の安光(やすみつ)が興した安光流剣術と家伝の太子流軍学を併せて「太子伝安光流」を創始しました。望月安勝の高弟の中林弥一右衛門尚堅は、後に心清流の小荒田吉郎兵衛時定から「唯授一人」の印可を受け、元禄2年(1689)「(聖徳)太子流」を創始しました。この流儀は、天明8年(1788)に藩校の日新館内武学寮で採用され、幕末には白虎隊の少年達も学ぶことになります。

会津藩では、享保17年(1732)と宝暦元年(1751)の二回にわたって、各種武芸の師範名を幕府に提出しています。幕府の記録で享保17年の会津藩の武芸流派と師範の名前を確認すると、「軍法(軍略)」3家、「弓術」7家、「馬術」5家、「槍術」3家、「剣術」7家、「居合術」13家(据物斬りを含む)、「柔術」1家、「砲術」10家、と、全49家のうち「居合術」「砲術」が突出して多いことがわかります。
ここで、享保17年の会津藩の剣術と居合術の師範と流派を紹介しましょう。もちろん、この頃には「山口流新小太刀兵術」はすでに失伝していました。


   享保17年の会津藩の剣術と居合の流儀と師範



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