今度は、辻という苗字について考えてみましょう。
そもそも辻氏の始まりは、仁明天皇(在位A.D.833〜850)の時代に甲斐国山梨郡能呂に配流された三枝守貞で、近江の辻氏は、この辻守貞の子孫が近江に流れた一族と言われています。辻守正著「辻氏名簿 (明治維新前) 付三枝姓辻氏族一千年史」には、昭和57年度の全国市町村別の「辻姓」の推定人数のランキングが記載されています。トップ10位までを見てわかるように、やはり現代でも甲斐(山梨県)、近江(滋賀県)に辻姓は多く、辻月丹の生まれた甲賀は全国第5位という、伝承を裏付ける結果を示しています。
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自治体 |
人口10万人当たりの辻姓数 |
| 1 |
山梨勝沼町 |
2,769 |
| 2 |
滋賀五個荘町 |
2,711 |
| 3 |
三重明和町 |
2,495 |
| 4 |
福岡小石原村 |
2,486 |
| 5 |
滋賀甲賀町 |
2,305 |
| 6 |
香川仁尾町 |
2,222 |
| 7 |
美濃市 |
2,028 |
| 8 |
秋田阿仁町 |
1,989 |
| 9 |
山梨早川町 |
1,843 |
| 10 |
滋賀甲良町 |
1,601 |
辻守正著「辻氏名簿」より
辻月丹の少年時代については、ほとんど記録がありません。山内家宝物史料館に保管されている都治家の家系図でも、都治弥太夫の二男とあるだけで、幼少期にかんする情報は見つかりません。

都治家系図(山内宝物史料館蔵)
後年、辻月丹自身が著したと言われる、「無外流剣法訣(けつ)」に、
「予、弱年よりもっぱらこの術に志し、楚鉄斉金(そてつせいきん)の器、常に側を離るることなし」
と唯一あるだけで、詳しいことは不明です。「楚鉄斉金の器」とは、中国の楚山や斉山が良質な鉄や金の産地だったことから、それらの加工品である刀剣を指します。辻月丹は、「子供の頃から、剣法の修行をしていました」と語っているのです。
辻月丹の生まれ育った甲賀の地は、中世からたびたび戦乱に巻き込まれたことでも有名で、とくに戦国時代、六角氏が諜報活動に利用した甲賀五十三家は、現代でも甲賀忍者として知られています。甲賀五十三家に辻姓は見あたりませんが、辻月丹が子供の頃から、こうした尚武(しょうぶ)にあふれた環境で、 武芸者に囲まれ、また武将の武勇伝などを聞かされながら育ったことは疑いないでしょう。
余談ながら、洋酒メーカーの(株)サントリーの社長だった佐治敬三が継承した佐治家は、甲賀五十三家の佐治氏の末裔と言われています(長坂益雄著「甲賀武士と甲賀・知多大野の佐治一族」)。
この時代の甲賀は、全国各地に傭兵を供給する基地でもあり、多数の甲賀武士が歩兵として京都に赴いています。
また、この時代に近江商人が京都に店を構えた例も少なくなく、甲賀から京都へ商家奉公に赴くことも多かったようです。例えば、辻姓の呉服問屋や両替商の旧宅は、今でも残っています。写真は、京都の米問屋の辻家で、戦後吉田内閣で 法務大臣(司法大臣)や防衛大臣(保安庁長官)を歴任した木村篤太郎の母方の実家です。江戸時代からの米問屋ですが、先祖は近江甲賀の油日神社の氏子だったと言う説もあり、米屋なのに屋号は「油屋」と言います。
辻月丹は十三歳になって京都に出ることになりますが、京都の商家に奉公へ出されたと考えても、あながち嘘とも言い切れないでしょう。
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