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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
        青雲の章   第五回


兵法家として辻月丹の人生が始まるのは、万治三年(1660)、十三歳になって京都に出てからです。
京都の山口卜真斎に入門するという、「雑話筆記」で紹介された話が、その後のスタンダードになっています。

「幼少より剣術修行に志深く、寤寐(ごび)未だ曾て之を忘る能わす。僻土良師無きを憂え歳十三京師に出で初めて山口卜真斎に随ふて日夜剣法を学ぶ事歳有り。」

このように、京都に出たのは近くに良い先生がいなかったためという理由ですが、当時の近江地方に著名な武芸者が存在しなかったとは考えにくく、柳生の里をはじめ近江、甲賀、伊賀は尚武の盛んな地域ですから、京都に剣術留学したというイメージは違うような気もします。

むしろ、塚原卜伝、斎藤伝鬼、宮本武蔵のエピソードにあるような、十歳前後で剣術修行を開始したという話を真似て、後に創作したと考えた方がよいでしょう。

ところで、この山口卜真斎説に対してまったく違う説を唱えているのが「月渓随筆」です。
辻月丹は、十三歳で京都に出て山口流剣術の「伊藤将監」(しょうげん)という武芸者に師事したというものです。

困ったことに、伊藤将監という武芸者については、よくわからないので真偽を判断することは出来ません。
「月渓随筆」によれば、「中国まで其の名高く」とあるほど有名な武芸者だったようですが、それにしては存在を傍証する史料が無いのが摩訶不思議です。ちなみにこの頃の中国地方は、現在の中国地方に兵庫県の西側を加えた地域です。

「月溪随筆」には、その内容の信憑性を疑う記述がこれ以外にもあります。
入門三年後に免許皆伝となった辻月丹が、師の伊藤将監と立ち合い、月丹が勝利しました。そして、伊藤将監は弟子である辻月丹の前に平伏して、逆に月丹への弟子入りを志願したというのです。美談のように語られていますが、現実にこんな師匠がいるものでしょうか?

いずれにせよ、辻月丹の師匠には、山口卜真斎説と伊藤将監説があり、その後に作られた辻月丹伝説は、どちらかを継承することになります。

山口卜真斎説は、「撃剣叢談」「日本剣道史」「無外全書」が採り上げ、例えば明治はじめに直心影流を継いだ山田治朗吉(左写真)の「日本剣道史」には、

「京都に出て、山口流祖山口卜真斎の門に入った」

と紹介されています。

いっぽうの伊藤将監説は「武芸流祖録」「筆話日記」「土佐史談」が支持し、天保十四年の「武芸流祖録」には、

「京都に出て、伊藤将監(豊太閤の師と伝ふ)門に入った」

とあます。年代から考えれば、豊臣秀吉と同時代というのは即座に否定できますが、伊藤将監そのものを否定することにはなりません。




山口卜真斎説を紹介した、山田治朗吉(1862〜1930)の「日本剣道史」(大正十四年)も、「割り註」として伊藤説を併記紹介しています。

「辻月丹の自記によれば、山口流伊藤大膳(将監)という達人中国までも其の名高く、此人に依て印可を得たとしてある。然るに、諸侯への願書には山口卜真斎に学ぶ由を述べてある。然れば、伊藤は山口の前名か。」

この記述にある「辻月丹の自記」とは不明ですが、辻月丹の直弟子だった森下権平は伊藤将監説ですし、都治記摩多の直弟子だった高田隆介は、

「山口卜真斎後伊藤将監と改められしよし也。」

と記しています。
考えられる可能性は二つです。
ひとつは、山口と伊藤がじつは同一人物だったという解釈。
もうひとつは、辻月丹は山口卜真斎に入門したものの、その後の印可は伊藤将監から授かったという解釈です。

同一人物説は他でも紹介されており、時代を下がって高橋赳太郎校閲・中川申一編「無外全書」(昭和13年)にも、次のような記述があります。

「十三にして京都に出で、山口流剣術の師山口卜真斎(前名を伊藤大膳と云う)に就いて剣術を学ぶ。」

武芸流派大辞典 〜 無外流兵法譚さらに時代を下がって、「武芸流派大事典」(綿谷雪(わたたにきよし)・山田忠史(ただちか)編、新人物往来社刊)で無外流の項目を参照すると、

「山口卜真斎に学ぶこと十三年、また同じ山口流を伊藤大膳に学んだ」

と二人師匠説です。


このように、従来から語られている伝書を基にしても、辻月丹の師匠の謎は、ますます深まるばかりです。
伊藤将監については新たな史料が発見できない以上、これ以上の進展は諦めるしかないのか...と考えていたときに、山口卜真斎について調査することは出来ないものか?と閃きました。

しかし、伊藤将監すら謎の人物なのに、山口卜真斎ならもっと謎なのではないか?誰もがそう思います。
そこで、我々はひとつの事実に着目しました。
それは、昭和の剣聖と謳われた中山博道が、山口流剣術を学んでいたという話です。



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