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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
        青雲の章   第六回

〜 剣聖・中山博道と山口流剣術 〜

剣道、居合道、杖道の三道範士となった中山博道は、山口流剣術を学んでいた。 〜 無外流兵法譚中山博道(1873〜1958)は、剣道、居合道、杖道の三道範士となった唯一の人物で、「昭和の剣聖」とか「最後の武芸者」などと謳われた人物です。
中山博道は、明治五年に金沢で生まれました。旧加賀藩祐筆役・中山源之丞の八男として生まれたものの、明治の版籍奉還で家は没落し、口減らしのため富山の商家へ奉公に出されました。そこで、山口流剣術の斎藤理則(みちのり)と出会い、目録まで得たと言われています。十九歳のときに上京し、神道無念流の根岸信五郎「有信館」の内弟子となってからの経歴はよく知られています。有名な「身命を賭した猛稽古」により三年で目録を許され、根岸信五郎の養子となりました。そしてこの頃、山口流剣術の免許、神道無念流の免許皆伝をそれぞれ得たそうです。
中山博道の弟子が編纂した口伝書には、山口流剣術を「山口一刀流」と記したものもありますが、富山藩庁の記録には存在しない名称なので、これは流儀の正式名称ではなく俗称と考えられます。

明治初期の「武道宝鑑」などを読んでも、確かに越中富山には山口流剣術が伝承された形跡があります。富山に伝わった山口流剣術を調べていくことで、辻月丹に結びつく情報が得られないだろうか?...我々は、そう考えたのです。

幸いなことに、富山には山口流剣術にかんする伝書が数多く残っていました。そのうちの一部は、県立図書館に保管されていますが、民間でも多くが保管されています。太平洋戦争の空襲で、富山城内に保管していた文書類はほとんど焼失し、城下もほぼ全滅でした。多くの人命や文化財と共に、貴重な史料も灰になったわけですが、焼失を逃れた書類もありました。それは、民家の土蔵などに保管されていた文書類です。こうした貴重な史料を民間で保管していたこと自体が、富山の人々の文化水準が、いかに高かったかを証明するエピソードだと思います。
余談ですが、この空襲の模様は、富山県出身の漫画家である藤子不二雄の自伝的作品「まんが道」に克明に描写されています。


今回、山口流剣術にかんする複数の伝書類を調査した結果、これまで曖昧だった幾つかの謎が解明できました。


まず、いちばんの謎だった山口卜真斎の出生ですが、伝書によれば天正10年(1582)に常陸(茨城県)の鹿島に生まれています。京都の本能寺で、織田信長が明智光秀に討たれた年です。
正式名は、山口右馬之助藤原家利といい、号は卜真斎、幼名は十郎兵衛、武蔵之助と名乗ったそうです。

鹿島では、天流保高に入門し、その後廻国して、鞍馬流、神当流、富田流、丸目流、天念流など諸流を学んで、元和六年(1620)4月28日の朝に、“日本無双”の山口流剣術を創始しています。
このとき山口卜真斎は39歳で、明暦2年(1656)に75歳で亡くなりました。


            富山藩の山口流剣術伝系

山口流剣術の道統は、2代目・山本新左衛門家継、3代目・児玉猪左衛門勝信に受け継がれて行きます。

物語が動き出すのは、3代目の児玉勝信が、武者修業で廻国をしてからです。
あるとき、児玉勝信は、越中富山藩に立ち寄ります。ここで、富山藩士の小柴六郎右衛門貞義を門弟に取り立てています。小柴貞義は、後に山口流剣術の四代目となる人物ですが、児玉勝信の門に下った経緯までは不明です。おそらく、小柴は児玉と立ち合って、負けたために山口流剣術を学ぶことになったのだろうと推察できます。
この小柴貞義の後、その門弟だった小柴直秋と奥田貞之の二人からそれぞれ独立した系統ができます。その門弟たちが、富山藩の剣術師範として幕末まで仕えていきます。また、児玉勝信はその後富山に永住しています。
つまり、小柴貞義以降の道統は、もともと富山藩士だったわけで、これで山口流剣術が富山に伝わった理由が理解できました。

幕末富山藩の藩校・広徳館の授業カリキュラムを見ると、山口流剣術には杣木田派、岡島派、斎藤派など、いくつかの派が存在していたようです。

富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)のとき、杣田清輔(そまだきよすけ)が細工師として招かれました。この杣田家は、漆を塗った素地の上に貝をはめ込み模様を描く“青貝細工”の技術を代々受け継いでいきました。六代目杣田光正・七代目杣田光明は、細工だけでなく武芸にも優れて、山口流剣術の師範に取り立てられます。この系統が、後の山口流杣田派になります。


広徳館のカリキュラムから。岡島兵治派山口流剣術。 〜 無外流兵法譚富山藩12代藩主・前田利声(としかた)の時代の山口流剣術師範に、岡島秀綱と斎藤重栄(しげよし)がいました。岡島の系統は、広徳館の授業カリキュラムで山口流岡島兵治派として続いているものです。
そして、斎藤重明、斎藤重栄を継いだ、斎藤理則(みちのり)に入門したのが中山博道です。
岡島派と杣田派は小柴直秋の系統で、斎藤派は奥田貞之の系統です。


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