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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語

       青雲の章   
第七回

  〜 謎の剣客 伊藤将監 〜



明暦2年(1656)に死去した山口卜真斎のもとに、4年後の寛文元年(1661)に十三歳の辻兵内少年が入門することは不可能です。

「雑話筆記」によれば、この後、辻月丹の人生に師匠は二度登場することになります。
最初は、辻月丹が26歳のときに、山口流剣術の印可を受ける時。二回目は、辻月丹が34歳のとき、江戸で無外流兵法の看板を掲げた辻月丹の道場を、師匠が訪ねてくる時です。
いずれも、明暦2年(1656)以降の出来事ですから、このとき登場する師匠が山口卜真斎であるなら、幽霊としか考えられません。

とりあえず、これまで確認できたことと、これらのイベントを、年代ごとに整理してみましょう。

年号 西暦 山口卜真斎の年齢 辻月丹の年齢 出来事
天正
10年
1582 1 山口卜真斎が鹿島に生まれる。
元和
6年
1620 39 山口流剣術を創始。
慶安
2年
1649 67 1 辻月丹が甲賀に生まれる。
明暦
2年
1657 75 9 山口卜真斎死去。
寛文
元年
1661 [79] 13 辻月丹が山口流剣術に入門する。
延宝
2年
1674 [92] 26 辻月丹が山口流剣術の印可を授かる。
天和
元年
1681 [100] 34 師匠が江戸の辻月丹を訪問する。


仮に山口卜真斎が明暦2年(1656)には亡くならず、その後も長生きをしたとしても、江戸の辻月丹の道場を訪ねたときの年齢が百歳ですから、東下りとしては現実的ではありません。
また、辻月丹と山口卜真斎は、師弟としては年齢差が大き過ぎる感もあります。

とは言うものの、伊藤将監説は土佐藩系の文献のみの記載しかなく、傍証が難しいため積極的に支持することは出来ません。

我々は、現段階では二つの可能性を提示したいと考えます。

ひとつは、「月溪随筆」にあるように、最初から伊藤将監に師事したというものです。

もうひとつは、山口卜真斎は二人いたというものです。
突拍子もない説と思われるかも知れませんが、現実にこれに近い話はよくあります。
例えば、戦国大名の斎藤道三です。
斎藤道三は、これまでは一介の油売りから出世して一代で戦国大名にまで成り上がったと語られてきました。近年の研究では、そのエピソードは父子二人の足跡である可能性が有力になっています。
また、宮本武蔵の物語のなかにも、父親のエピソードが武蔵のエピソードとして作り替えられているものがあります。
伊藤将監が二代目を名乗ったかはわかりませんが、二人の出来事が山口卜真斎ひとりの足跡として、いつのまにか語られるようになった可能性は十分考えられます。

ただし、これは推測に過ぎないので、我々としては史料を重視する立場から「月溪随筆」にあるように伊藤将監説を採用します。その是否については、伊藤将監にかんする一級史料が将来発見されることを待ちたいと思います。


   山口流剣術に併伝されていた桜木流居合の伝書


そもそも、神田白龍子が大名の屋敷で見聞した「雑話筆記」は、ネタ元が噂話を又聞きしたものと考えれば、どこかで間違いが起きるのかも知れません。必ずしも意図的に捏造されたわけではなく、辻月丹の死後数年後に編纂されたわけですから、どこかで間違いも起こり得るのです。

意図的ではないエラーの例として、我々が偶然に富山で面白い伝書に出会ったので、それを紹介しましょう。

同じ内容なのに、明らかに時代が異なる三枚の伝書を見つけました。原文は漢文ですが、筆写したのが新しくなるにつれて送り仮名が増えてくるので、この三枚を時代順に並べるのは簡単です。
問題の箇所は、山口卜真斎から、山本家継、児玉勝信に道統が継承されていく部分です。

三枚の中で、もっとも古い物には、漢文で

山本家継児玉勝信伝

とあります。
それが、次の伝書では、

山本家ヲ継グ児玉勝信ニ伝フ

と、突然「山本家」が出てくるのです。
海苔屋でもないのに、いくらなんでも意味不明な「山本家」はないだろう!と、誰でも考えると思います。
そこまでは良かったのですが、次の伝書では、なんと、

山口家ヲ継グ児玉勝信ニ伝フ

と、書き換えてしまったのです。
山本家継が消えたばかりか、三番目の伝書だけ読んだ人間なら、児玉勝信は山口卜真斎の養子となり、二代目山口卜真斎を名乗ったのではないかと想像してしまうかも知れません。

このように、今回の調査の過程で偶然見つけた例ではありますが、悪意のない間違いの可能性は否定できません。

これまでのことをまとめると、

@.辻月丹が師事したのは、山口卜真斎ではなく、山口流剣術の伊藤将監(または2代目山口卜真斎)である。「月渓随筆」によれば、伊藤は山口卜真斎の弟子であるが、傍証はできない。

A.山口流剣術は、主に畿内と北陸に伝承された。畿内に伝搬した一派から生まれたのが無外流兵法である。

B.山口一刀流は、山口流剣術の俗称であり、正式な流派の名称ではない。

B.山口流剣術は、天流、鞍馬流、富田流、新当流などを学んだ山口卜真斎によって創始された、新しい流派である。

となります。


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