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これまで、小柴貞義は山口流
居合を創始したと伝えられてき
ましたが、富山藩の記録には
山口流居合という流派が確認
できず、また桜木流居合の伝
系に小柴の名前があることか
ら、小柴の流儀は桜木流居合
だったと考えられます。
山口流剣術に併伝され、山口
流剣術の師範が伝えた桜木
流居合は山口流居合とも呼ば
れたと考えられます。






























































辻月丹は、愛宕山に37日籠
もったとする文献がありますが、
明らかな間違いです。
修験道では三七(さんしち)日、
つまり3 x 7=21日間、頭上
で香を焚く行(ぎょう)があり、
辻月丹がおこなった荒行が
まさにそれなのです。
この荒行は、陰流の愛洲移
香斎や、香取神道流の飯篠
長威斎もおこなっています。

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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
        青雲の章   最終回



このように、辻月丹が超自然的なエナジーを獲得するために、山籠もりや神仏に祈るといったエピソードは豊富に残っています。
京都での修行中には、洛北の愛宕山や近江の油日嶽に籠もったという伝説も残っています。

また、こうした話と並んで有名なのが、彼が剣客修行のために諸国を旅したことです。

「雑話筆記」では廻国が二十六歳で印可を授かってからなのに対して、「月渓随筆」ではまた武者修行には出ずに直接江戸に向かっており、他にも十六歳で旅に出たというものから十八歳というものまでさまざまです。

廻国中には、

「一剣漂々遊歴すること三十三箇国、名ある剣客と試合を続けたが、其の何れも月丹を弟子とすることを辞し、直ちに免許を与える者もあった。」

という伝書から、無名の剣客なのでどこでも相手にされなかったと記す伝書までありますが、ここでは、

「京都から北陸路で越前、加賀、越中、越後へ出て、信濃路から尾張、飛騨を廻り、近江を経て京都に戻った」















   甲賀町から望む油日嶽。画面中央にう
   っすらと見える山が油日嶽である。


というコースを紹介しておきます。
このコースであれば、山口流の児玉勝信が廻ったルートとも重なるので、辻月丹は児玉の紹介状を持参して廻国したという想像も可能ですし、あるいは山口卜真斎の頃から、すでに北陸にはなんらかの関係が出来上がっていたのかも知れません。

この廻国時代に修めた流派は十二流にも及び、高名な流派では、新陰流の流れを汲む越前の出淵運籌流(うんちゅうりゅう)、富田流の流れを汲む越中の阿波賀流、加賀金沢の富田流と深甚流(ふかじんりゅう)、越後の鐘捲自斎流、信濃の東軍流、尾張の柳生新陰流と円明流などが挙げられます。

また、同じ時代に、居合という新しい武芸が爆発的に流行り出しています。林崎重信(甚助)の系統では、越前には田宮流(民弥流)、加賀には眼志流、越後には伯耆流がすでに伝承されていました。辻月丹は、間違いなくそうした時代の趨勢を肌で感じていたはずで、これら流派と立ち合ったかも知れません。 そして、山口流剣術でも、児玉勝信が桜木流居合を、小柴貞義が山口流居合を創始したとされており、辻月丹が後に自鏡流居合を取り入れる背景を考えるとき、この廻国修行時代の経験と、山口流剣術の伝承者が代々居合と密接な関係を持っていたことに、ある種の宿命的なものを感じざるを得ません。

甲州路を旅していたときに、磯上不比等(いそのかみふひと)という地元では有名だった武芸者を訪ねました。辻月丹としては他流試合のつもりでしたがが、ようやく会えた磯上不比等は八十歳を超えた老人で、杖にすがってなんとか歩けるような状態でした。
しかし辻月丹は磯上不比等の威厳のある態度や動作に感心し、磯上不比等も辻月丹を気に入ったため、しばらく逗留して武芸談義に華を咲かせたそうです。


この章の最後に、京都での修業時代に訪れたと言われる、京都の愛宕山、故郷甲賀の油日嶽での修行について注目しておきましょう。

油日嶽の山麓にある油日神社 〜 無外流兵法譚甲賀の油日嶽や岩尾山は、辻月丹の育った甲賀馬杉からは数里ほど離れた山で、中世から修験道の地としても知られ、甲賀忍者が修行した山とも伝えられています。 油日嶽の山麓には油日神社があり、辻月丹が生まれる百年前の1566年に建造された楼門、回廊を備えた本格的な神社建築で、本殿、拝殿も含め全ての建物が国の重要文化財に指定されています。

神社には日本最大の高野槙(こうやまき)の巨木があります。我々が実際に見た限りでは、杉の大木と全く見分けがつかなかったのですが、高野槙はコウヤマキ科、杉はスギ科で、あまり近い種ではないそうです。平成18年(2006)、秋篠宮家に悠仁(ひさひと)親王様がご誕生し、この高野槙の巨木が「しるしの木」とされ、一躍全国区の巨木となりました。この件の経緯は、毎朝参拝している地元の古老にお話を伺えたのですが、ここで紹介するのは控えます。この巨木は、幹周りが6.5mもあり、高野槙の本拠地である和歌山県の高野山にも、これほどの巨木はないそうです。樹齢750年と言いますから、辻月丹も目にしていたことでしょう。

京都の愛宕山は、標高三千尺、山城第一の高峰で、古くから有名な修験道の場として知られる山です。辻月丹より以前では、伯耆流居合の片岡伯耆守久安や、貫心流の宍戸家俊などが山籠もりしたことでも有名です。辻月丹はここに21日間籠もったとされています。 愛宕山と言えば、落語ファンなら、昭落語名人選 愛宕山/船徳 〜 無外流兵法譚和の大名人・八代目桂文楽の十八番の一つとして有名ですが、辻月丹が故郷の信楽焼を持参したかどうかは定かでありません(このギャグがわからなければ、ぜひ落語で愛宕山をお聴きになることを勧めます)。

なお、辻月丹は、近江の山籠もりでは、「逆袈裟」を、愛宕山では「千遍遣い」を編み出したと言われています。



辻月丹は、こうした厳しい修行を経て、いよいよ江戸へと向かいます。
東下りは、延宝二年(1674)、辻月丹が二十六歳の頃と言われています。


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