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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語

       不死鳥の章  第一回

 〜 盲目の剣士(辻右平太) 〜


流祖・辻月丹が亡くなってからの無外流は、前橋藩の酒井雅楽頭家(享保年間に前橋から姫路に転封)と、土佐藩の山内家を中心に伝えられ、その後日本中に広まった...という紹介が広く流布しています。 しかし、例えば岡山藩士の三上元龍による寛政二年(1790)の有名な『撃剣叢談』(げきけんそうだん)によれば、

「此の流、態の次第、勝負の様等聞きし事なし」

とあるように、その後は「噂も聞くこともない流儀」という認識が存在していたことは、ひとつの見識として認めなければならないでしょう。
辻月丹以降の無外流が、どのような運命を辿ったのか?
それが、この「不死鳥の章」のテーマです。

まず、辻月丹後の伝系について確認します。
広く知られた説としては、辻月丹の甥孫(甥ではない!)の辻右平太を前橋藩の剣術指南役に、養子の都治記摩多資英(すけひで)を土佐藩の剣術指南役に、それぞれ推挙したことになっています。
ところが、現在に伝わる無外流の目録で、初代辻月丹からの道統を見ると、姫路系(前橋系)ですら二代目が都治記摩多となっているものが多数存在します。土佐系が都治記摩多から始まるのは問題ないとしても、姫路系が辻右平太ではなく都治記摩多なのはどうしたことでしょうか?

姫路系と土佐系の無外流の流れ 〜 無外流兵法譚これについては後述しますが、姫路系の道統は、辻右平太の流れではなく、むしろ後に土佐系から分かれた系統であるからです。したがって、姫路系であっても、分かれるまでは土佐系の道統を継承しているわけです。

そこで、歴史に埋もれた伝承者とも言うべき、辻右平太に注目してみましょう。
辻右平太は、辻月丹と同じ近江国甲賀郡馬杉村の出身で、辻月丹の甥孫と伝えられています。辻右平太と都治記摩多の正確な年齢差はわからないものの、親子ほど差があるのは間違いないでしょう。ただし、辻右平太が土佐藩江戸屋敷の御出入格となるのは宝永四年(1707)で、都治記摩多が同じく御出入格となるのが正徳5年(1715)ですから、年少の辻右平太のほうが、記摩多よりも8年も早く山内家の剣術指南役になっています。いずれも、6代藩主・山内豊隆の時代のことです。
辻月丹が山内家と接触を持ったのは、4代藩主・山内豊昌の時代ですから、辻右平太もその頃から山内家と係わりがあったと考えるべきでしょう。

今日ではよく知られている逸話ですが、6代藩主・山内豊隆が辻右平太を評して、

「右平太が打太刀にて遣えば、何とやらん泰山に向かうごとく、打ても打ち応えがせぬ」

と言ったと伝えられています。
「打太刀」とは、剣術において形(かた)の流れをリードする者で、簡単に言うと形で負ける側です。それに対するのは「仕太刀」で、普通は下位者(=弟子)が「仕太刀」になります。山内豊隆は、「仕太刀」として辻右平太と形稽古し、形では勝利しているのに、辻右平太が相手では勝った気になれないと言っているのです。辻右平太が、相当な出来物(できぶつ)だったことを示すエピソードでしょう。


無外流兵法譚
    酒井家上屋敷跡
「江戸時代の寛文年間 この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり 歌舞伎の『先代萩』で知られる伊達騒動の終末 伊達安芸・原田甲斐の殺害されたところである。」(皇居大手門公園)

また、辻右平太は土佐藩邸に御出入格となる前から、前橋藩酒井家の江戸屋敷にも御出入となっています。酒井家の上屋敷は、『下馬将軍』という言葉から連想されるように、江戸城下馬札前(現在の皇居大手門公園)の広大な屋敷が有名ですが、辻右平太はここではなく、現在の豊島区大塚にあった下屋敷に通っていました。

藩主・酒井忠挙(ただたか)は、元禄5年に、国許の前橋で『好古堂』という文武講習所を開設しましたが、ここにも辻右平太は出入りしていたようです。好古堂は、藩士とその子弟たちの士官学校で、幕末に全国で設立された「藩校」の先駆けとも言えるものでした。好古堂の『剣術教授方』に、『無外流劔術 辻宇平太』(ママ)の名前を見ることが出来ます。そのまま信じれば、辻右平太は酒井家江戸藩邸だけでなく、前橋までも通っていたことになります。

しかし、なんと言っても辻右平太のエピソードとしてショッキングなのは、彼が若くして病気で失明したということです。
どのような眼病だったのかは不明ですが、失明しても『その剣に微塵の狂いもなし』と言われていて、しばらくは指南役を勤めていたようです。辻月丹が著した『無外真伝剣法訣』にある『玄夜刀』は、暗闇で目が見えないときの技だそうですが、辻右平太を意識して書かれたとするのは我々の考えすぎでしょうか?
その後、眼病の治療のため外科手術を受けるのですが、手術は成功せず寛保2年(1742)に亡くなりました。

辻右平太の道統は、弟子の前橋藩士・室賀官八や伊勢崎藩士・磯田邦直らに伝えられています。伊勢崎藩(群馬県伊勢崎市)は、酒井忠挙の実弟が藩主で、酒井家が姫路に転封となった後もこの地にとどまり、明治維新を迎えました。

辻右平太の後継者たち 〜 無外流兵法譚
                             (参考 『武芸流派大辞典』)

安中藩(群馬県安中市)主・板倉家と言えば、麻布吸江寺を菩提寺にした一族で、辻月丹とも所縁があるのですが、元禄末期に板倉家に代わって安中藩主となったのが、内藤丹波守家です。この内藤家では、磯田邦直の息子、磯田三平邦武を剣術指南役に迎え、海老名姓に改めさせます。内藤家では、代々の剣術指南役が海老名三平を継ぎました。内藤家は、後に挙母藩(愛知県豊田市)に転封となりますが、海老名三平は『挙母2万石に過ぎたるものは、大手御門に海老名三平』とまで言われるほどの名人だったということです。挙母藩では、祭りのときに山車を城内に入れて藩主が見物するために、2万石の大名としては分不相応な大手門を造営したのです。
ちなみに、我々は、挙母藩士の書のなかで『無外一刀流』と記載してある物を見つけました。ところが、挙母藩の無外流に『無外一刀流』という分派は存在しません。これは、「柳生一刀流」や「山口一刀流」のような俗称に過ぎず、一刀流との関与を示しているわけではないことに注意が必要です。

なお、豊橋の石巻山に籠もって悟りを開き、『石巻我心流』という流派を興したのが弟子の深田左兵衛満孫です。

前述したとおり、今日に伝わる伝系では、辻右平太を含む系譜と含まない系譜が存在しますが、どちらかが間違いということではありません。
我々自身は、辻右平太から都治記摩多への芸の継承は、現実に存在したとは考えていません。おそらく後世で系譜が見直されたときに、辻右平太を代に数えたのでしょう。

じつは、こうした系譜の見直しは、芸の伝系では珍しくありません。武芸に限っても、例えば早世した師範の息子を代に数えたり、何らかの事情で死後に一代限りの家元を贈ったり、師家への敬意から師家の代を多く数えたり、(主に経済面で)流派に貢献した人物を加えたりすることはよくあることです。

余談ですが、武芸以外でも、有名なところでは、京都歌舞伎の最高峰である片岡仁左衛門は、当代が15代ですが、その前に14人の仁左衛門に継承されたわけではありませんし、落語では戦後最大の名人と言われた8代目桂文楽にしても、その前に7人の文楽が高座に上がったわけではありません。

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辻右平太の墓標
(如来寺/東京都品川区)

前述したように、姫路系と言っても都治記摩多から始まる土佐系から分かれたのであり、芸の伝系として見れば辻右平太を含めないのはじゅうぶん理解できます。しかし、我々の興味は歴史であり、その時代に何があったのかという単純なものです。辻月丹の後継者が、辻右平太と都治記摩多のどちらだったのかと聞かれれば、二人とも後継者であることは疑う余地がありません。 ただ、辻月丹の最大の支援者だった酒井忠挙に、辻月丹自身が推挙したのが辻右平太だったこと、また、山内家にも都治記摩多よりも先に辻右平太を引き合わせていたこと、などを考慮すれば、少なくともある時期までは、肉親でもある辻右平太のほうに辻月丹が大きな期待をかけていたことは間違いないと考えています。


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