|
|
 |
 |
 |
無外流と文殊菩薩 第三回 |
余談ですが、無外流の伝書には、摩利支天(まりしてん)が登場するものがあります。例えば、写真にある キ治記摩太の起請文にも摩利支天が登場します。
摩利支天信仰といえば、中世の武士に広まった信仰で、最近はNHK大河ドラマ「山本勘助」「利家とまつ」「毛利元就」などでも取り上げられたので有名です。もともとは摩利支天が陽炎(かげろう)という実体のない存在の化身とされたため、捕らえられて傷ついたり、戦において敵の刃に害されることがない、つまりに戦に勝利する御利益があると信じられたことが始まりのようです。
武芸における摩利支天信仰は、剣術三大源流のひとつである念流のように、流祖が摩利支天から神託を受けて開悟した話が有名です。当然、念流の流れをくむ中条流、富田(とだ)流などでは摩利支天信仰が継承されていますが、無外流と摩利支天信仰に直接の関係はありません。
武芸伝書に登場する摩利支天とは、真言密教の秘事伝授における「秘伝は親兄弟にも明かさないことを摩利支天に誓う」という形式を真似たもので、このフォーマットは無外流に限らずほとんどの武芸で採用されているのです。真言密教の伝承儀式「印信許可」を略して、多くの武道で「印可」(いんか)と呼ぶのは、たんに「印可」という密教用語を拝借しただけに過ぎず、同様に、摩利支天信仰に深く関与していなくとも、形式的に摩利支天を拝借しているのは無外流も同じなのです。キ治記摩太の起請文も、このフォーマットを受け継いだものであり、中条流や富田流からの継承ではありません。
長い歴史の中で、ほとんどの武芸が技の改変や失伝・新伝を繰り返しながら、今日まで生き延びてきました。辻月丹の頃から、無外流では剣術と居合が修行されてきましたが、今日ではもっぱら居合が稽古されています。では現在の無外流居合には、流祖の教えがどのくらい生きているのでしょうか? その答えは、月丹が伝書のなかで、技の解説よりも精神の伝承を重視したことを考えれば一目瞭然です。
技の伝承は簡単ではありません。しかしそれ以上に、流儀の精神という無形の伝承は困難を極めるはずです。それでも月丹は、自らが到達した剣禅一致の境地が、後世に伝わることを希求したのです。
技の伝承に傾倒した揚げ句に、流祖の理想から乖離していくのが常である中で、無外流は「心の兵法」という流祖最大の遺産を、居合を通じて受け継いだのです。
それこそが辻無外流の神髄であり、流の誇りと言えましょう。
Back(第二回)<< >>史談往来メニューへ
|
|
 |
|
|
| COPYRIGHT(C) Modern History Workshop. |