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宗偏流(そうへんりゅう)と
    石州流(せきしゅうりゅう)
   
    辻月丹と茶湯
  
                第二回


ここで、辻月丹の時代までの武家茶道の流れを簡単にたどってみましょう。


古田織部木像(京都興聖寺蔵)
千利休が豊臣秀吉の命を受けて切腹した後、天下の宗匠と目されたのは古田織部(ふるたおりべ)でした。古田織部(天文13年(1544)〜元和元年(1615))は、所謂「利休七哲」と呼ばれた高弟の一人です。織田信長、豊臣秀吉に仕え、軍功によって3万5千石の大名にまで上り詰めます。千利休に次ぐ名手とされ、徳川秀忠の点茶の師匠だったとも言われています。
しかし、大阪の陣では内通の疑いをかけられ、徳川家康によって切腹させられてしまいました。

今日、藪内家に伝わる茶室「燕庵」(えんなん)は古田織部の作と言われています。
千利休の時代の茶室は極限までの簡素さを求め、茶室内は身分の上下がない空間とされていましたが、「燕庵」は大名の家臣が控える間があることなど、茶湯の世界も下克上の時代から封建的な秩序の時代に変わろうとしていたことを感じることが出来ます。
門弟には、本阿弥光悦、小堀遠州、清水道閑などがいました。
なかでも、小堀遠州は独自の芸術観で大名茶道を開花させた人物として有名です。


小堀遠州画像(大徳寺狐篷庵蔵)
小堀遠州(天正7年(1579)〜正保4年(1647))は1万2千石の大名であるとともに、京都・伏見奉行として徳川家に仕えた人物です。同時に、作事奉行として幕府の公共建築事業の設計・現場監督としても腕を振るい、京都御所の建築や、二条城庭園の造園なども手掛けました。
徳川家光に小堀遠州を推挙したのは、黒衣の宰相とも呼ばれた京都南禅寺の金地院崇伝だと言われています。古田織部が徳川秀忠の指南役だったかは定かではありませんが、小堀遠州は間違いなく徳川家光の茶道指南役でした。とくに、寛永11年の品川・東海禅寺における徳川家光への献茶は、小堀遠州が幕藩体制における茶道権威の象徴として、万人に認識された出来事でした。

小堀遠州の好みを「きれいさび」と表現しますが、古田織部が不定型で非対称の美を求めたのに対し、小堀遠州は均整がとれた都会的で洗練された美を表現しました。と同時に、茶道に忠孝という封建道徳を取り入れ、幕藩体制の茶道観として受け入れられていくことになります。
そして、大名たちは、こぞって小堀遠州に入門します。


片桐石州画像(芳春院蔵)
4代将軍・徳川家綱の頃になると、すでに小堀遠州は亡くなっていたものの、大名茶道と言えば遠州流が一大勢力となっていました。
そんな中で、徳川家綱の後見役で叔父の保科正之が師事していた片桐石州の茶湯が勢力を伸ばします。保科正之が柳営茶道として石州流を紹介していった意図は、勢力が大きくなり過ぎた小堀遠州の系統に対抗するためとも言われ、やがて片桐石州は徳川家綱の茶道指南役となり、徳川家綱に点茶を献上するまでになります。

片桐石州(慶長10年(1605)〜延宝元年(1673))は大和小泉の大名で、侘び茶を千道安の流れに学び、金森宗和や小堀遠州からも学んで「堂上の茶」を極めました。片桐石州の門弟には、保科正之を初めとして大名たちも名を連ねることになりますが、それよりも、各藩に茶頭(さどう)という茶湯の指南役的な存在が誕生したことが石州流の拡大に意味を持つことになります。
本来の茶頭とは、織田信長や豊臣秀吉に茶を点てる人物を意味した言葉でしたが、徳川家綱の時代には、芸能が流派として確立していく過程で、各藩にも茶頭という役割が生まれ、こうした人物が片桐石州のもとに送り込まれていくのです。こうして、江戸時代中期の大名茶道は、「三家に二家が石州流(残りの一家が遠州流)」と呼ばれるまでになっていきます。



     学恵茶湯志(仙台博物館蔵)
   伊達綱村の茶会記は元禄から

   永までの「伊達綱村茶会記」と、正
   徳から享保までのこの「学恵茶湯
   志」がある。「学恵茶湯志」は、綱
   村自身が題字を書いている。

例えば、仙台藩伊達家では、もともと遠州流を受け継いでいましたが、2代目茶頭の清水道閑からは石州流に変わります。
また、江戸時代を通じて有名な茶人大名のほとんどが石州流の系統であることは、この時代の片桐石州に学んで帰藩した茶頭たちの活躍によるものです。松江藩の松平不昧(ふまい)、姫路藩の酒井宗雅、大和郡山藩の柳沢堯山(ぎょうざん)、彦根藩の井伊直弼ら、石州流を皆伝した大名を挙げれば枚挙にいとまがありません。

前述したように、仙台藩四代藩主・伊達綱村は石州流を学び、江戸時代を代表する茶人大名と言われています。



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