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吸江寺をさがせ!
無外流が生まれた風景 第一回 |
元禄六年(1693)、無外流祖・辻月丹は、麻布桜田町にある吸江寺で十九年にわたる参禅の末、
一法実無外 (一法実に外無し)
乾坤得一貞 (乾坤一貞を得)
吹毛方納密 (吹毛まさに密に納む)
動着則光清 (動着すれば光清し)
の詩偈(しげ)を与えられました。 詩偈とは、禅僧が悟境を述べた、韻文(いんぶん)の法語を意味します。
辻月丹は、ここから自身の号を一法無外とし、流名も山口流から無外流に改めたと言われています。
無外流の歴史において、吸江寺という空間がいかに大きな役割を果たしたかが想像できると思います。
普光山吸江寺は、現在の渋谷区東四丁目にある小名刹です。JR渋谷駅から、歩いてもわずか九分程度の距離ですが、渋谷駅前の喧騒からは想像もできないほどの静かな一画に建立されています。国学系の学生養成機関として名高い國學院大學に隣接し、すぐ近くの青山学院初等部、ペルー大使館、常陸宮邸などと一緒に、この地区の独特の雰囲気づくりに貢献しているかのようです。
寺院内の墓地に進むと、静寂さが一層増します。
先ほどまで渋谷駅前の騒音に慣れていた、自分自身の感覚がフェイドアウトしてしまったような錯覚を覚えるほどです。 墓地の一画には、吸江寺に大きな帰依をした安中藩主・板倉家累代の墓標があります。
実際に、渋谷駅から歩いてみるとわかりますが、吸江寺は緩やかな坂の上にあります。
辻月丹は、どの方角から吸江寺まで参禅に通ったのだろう?
この坂を上ったのだろうか?
...などと想像しそうですが、辻月丹がここに参禅した記録はありません。辻月丹が参禅したのは、吸江寺が麻布にあった頃のことで、辻月丹が開悟してから八年後の元禄十四年(1701)に、吸江寺は渋谷に移転されました。
以来、吸江寺は三百年間も渋谷にあり、この地の人々の心の支えとなってきたのです。
無外流関連の伝書には、辻月丹が参禅した吸江寺の場所は、麻布桜田町と記されています。
現在の行政区域では、麻布に桜田町という町名は存在しませんが、確かに明治時代までは麻布に桜田町が存在していました。
では、麻布桜田町は、現在のどの辺りかと言えば、六本木五、六丁目を中心にした地域です。もっと分かりやすく言えば、あの六本木ヒルズの付近一帯です。
六本木ヒルズ内に、毛利庭園という和式庭園があり、その説明文から六本木ヒルズがかつては長州毛利藩の支族である長門府中毛利家の上屋敷だったことを確認できます。
毛利家が、麻布に上屋敷を構える経緯については、山本博文著「江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸」に詳しく記述されています。同書は、現代のサラリーマン社会と寛永期の武家社会を重ねながら、ユニークな視点で一人の武士の日記を読み解いた好著で、日本エッセイストクラブ賞も受賞されたものです。
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