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吸江寺をさがせ!
無外流が生まれた風景 第二回 |
桜田町という町名は、この町に桜田神社(霞山稲荷)があることから付けられました。
もともと桜田神社は、現在の桜田門の付近にあったのですが、太田道灌の時代に小田原北条氏に攻められて炎上し、徳川家康の頃に百姓地に移され、三代将軍徳川家光の代の寛永元年(1624)に麻布に移されました。桜田町の町名の語源は桜田門と同じで、源頼朝が奥州藤原氏征伐の際に神領を寄進し、田に「しるしの木」として桜を植えたことに由来するそうです。
また、百姓地から麻布に移転するにあたり、付近の農民も一緒に移ったので、別名百姓町とも呼ばれています。古文書や古地図を見ると、確かに「麻布百姓町」と記載されている物も少なくありません。これは差別的な意味合いではなく、実際に百姓町と呼ばれていた事実を記録したことがわかります。
現在、麻布や六本木に桜田町という名前は残っておらず、「さくら通り」や「さくら坂公園」などに、旧町名の名残を連想させる程度になっています。
ここまでわかれば、麻布桜田町の吸江寺の位置を特定することは容易と思われます。 まず、現在の地図と、縮尺を合わせた古地図を比べてみましょう。
測量技術などの問題から、一般に古地図上の縮尺比率は、実際の距離を正確に反映していないため、ここでは実際の縮尺比率に変換されたyahoo古地図を利用します。
【現在の六本木五、六丁目】

【安政三年頃の麻布桜田町】

yahoo古地図は、安政三年(1856)の地図だそうですから、当然、この地図で吸江寺を見つけることは出来ません。ただし、ここに示した区域のどこかに吸江寺が存在していたはずです。
地図上中央付近にある、「(三光院)専称寺」と飛地を挟んだ「正光院」は現在も同地にあります。
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