|
|
 |
 |
 |
吸江寺をさがせ!
無外流が生まれた風景 第三回 |
我々は、麻布桜田町の吸江寺の位置を特定するのは、お茶の子サイサイ、屁の河童、と高(たか)を括(くく)っていたのですが、五種類の江戸大判地図を調べても見つけることが出来ませんでした。いずれも寛永〜元禄期のものです。
さらに、町内地図や、切り絵地図、名所地図などにも調査範囲を広げました。
延べ50種類の地図を調査しましたが、吸江寺を見つけることが出来ません。
渋谷に移転してからの場所であれば、現在地が判明しているので、古地図でも簡単に特定できます。しかし、麻布桜田町時代の位置については、完全に調査が暗礁に乗り上げてしまいました。
現在は古地図ブームで、古地図を片手に江戸の名所を散策する人も多いそうです。古地図を見るとわかりますが、古地図は現在の地図とは大きく違う点があります。それは、寺社仏閣の情報が極めて多いということです。これは、当時の人々の生活に、宗教が深く結びついていたからであり、また境内には縁日の露店や屋台が並んで、庶民にとっては遊興や観光目的としても重要でした。
しかも、吸江寺は安中藩主・板倉家の菩提寺です。地図への記載が漏れたとは考えられません。
これを、どのように理解したら良いか? 調査方針を練り直し、範囲をもう少し広げるべきかを議論しだした矢先、51枚目の地図で奇妙な記述を発見しました。
それは、寛文十三年発行の「新版江戸外絵図」の桜田町(桜田丁となっている)の地図です。
ここには「三光院(専称寺)」と「正光院」に挟まれた場所に
「クウカウ寺」という文字があることがわかります。

「クウカウ寺」と「キュウコウ寺」...う〜ん、似ている!!
と言うか、そのまんまです。
これが麻布桜田町の吸江寺に間違いないだろうと考えられます。
辻月丹は、この場所に十九年間通っていたのです。
では、吸江寺が存在したと思われる場所に、今は何があるのかと言えば....「ナチュラルローソン」でした。

(写真をクリックすると、地図にリンクします)
Back(第二回)<< 史談往来メニュー >>Next(第四回)
|
|
 |
|
|
| COPYRIGHT(C) Modern History Workshop. |