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プロジェクト・エックス
将軍謁見事件の真相 第一回 |
これは、一人の武芸者を、将軍に会わせようとした男たちのドラマである.....。
ノンフィクション・ドラマなら、こんなナレーションで始まりそうな今回のテーマは、無外流の辻月丹が将軍に謁見寸前までいった事件の真相についてです。
辻月丹が、五代将軍徳川綱吉に一度は無外流の上覧を許可されたというエピソードは、辻月丹のカリスマ性を高めただけでなく、無外流の歴史の中でも特筆すべき慶事と考えてよいでしょう。当時の兵法者にとって、武門の頭領たる将軍家に目通りできるほどの栄誉はなかったのです。今回は、この謁見にまつわる諸々の伝承を検証していきます。
その前に、誰もがこぞって取り上げている通説を確認しておきましょう。
@ 宝永六年(1709)、辻月丹六十一歳の時、厩橋(まやばし)藩主・酒井忠挙(ただたか)の取り計らいで、五代将軍徳川綱吉に謁見を申し入れた。
A 幕府から許可が出たが、不運にも徳川綱吉が死去したために実現しなかった。
B 酒井忠挙はその翌年も、六代将軍徳川家宣に辻月丹を謁見させようと再度願い出た。
C しかし、将軍宣下の儀式とぶつかり、謁見の機会は流れてしまった。
D 謁見がかなわなかったとはいえ、一介の浪人に将軍が謁見の許可を与えるのは破格のことである。
この願書の写しが今も残っているのですが、もちろんそれを幕府の公式記録で傍証することはできません。しかし、私はこの話を実話と考えています。ただし、通説には多くの間違いが含まれています。私が実話であると主張する根拠についても、通説の間違いについても、これから徐々に述べていくつもりです。
はじめに、二回の願書の写しから全文を確認しましょう。
【一回目の願書】
<願書全文>(原漢文)
御 目 見 得 願 書
私儀、御旗本方剣術御指南その他諸士へ指南仕り候。数十年御城下にまかり在り候につき、恐れながら冥加の為、かつは芸術名利の為、御目見得の儀、願い奉り候。 以上
宝永六己丑年 辻月丹 判
<参考>
取次者 御用番 加藤越中守(明英)
伝書に記載された結果
文照院様御他界に御座候。これひとえに資茂(すけもち)の不運と申しべく候。
【二回目の願書】
<願書全文>
御 目 見 得 願 書
御先代宝永六己丑年、加藤越中守様御用番の節、願書を差上申し置き候。通う私儀、御旗本その他諸士へ剣術指南仕り候。数十年御城下罷り在り候につき、恐れながら冥加の為、かつは芸術名利の為、御目見の儀、願い奉り候。
以上
己二月 辻月丹 判
<参考>
取次者 御用番 大久保佐渡守(常春)
伝書に記載された結果
随分御勤め候へども、終に志を得ず、残念の事に候。
辻月丹の無念さは想像以上だったようで、かえって辻月丹という人物を身近に感じてしまいます。それだけに、我々は彼の心情を正しく理解するためにも、この検証が必要と感じたのです。
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