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 将軍謁見事件の真相  第二回


そもそも我々がこの文章を調べようと思いついたのは、二つの違和感を感じたからです。


    徳川家綱像(徳川記念財団所蔵)
徳川綱吉といえば、剣術の稽古が嫌いな将軍として有名です。病弱だった兄の四代将軍家綱でさえも、柳生宗冬(柳生十兵衛の弟)の稽古を年に何度も受けているのに、綱吉は将軍になると柳生家を遠ざけてしまいました。もちろん、まったく稽古しなかったわけではありませんが、念のために綱吉が最後に剣術の稽古をした記録を調べてみました。それは、元禄9年(1696)10月、51歳のとき、側用人の柳沢吉保邸にて吉保の家臣の大原丈右衛門を相手に稽古したのが最後です(「常憲院殿(綱吉)御実記」より)。つまり、宝永6年の綱吉は、すでに13年間も剣術の稽古をしていなかったのです。そんな綱吉に、好きでもない剣術の上覧に行こうなどと考えるものでしょうか?

もう一つの疑問は、この謁見のプロデューサーである酒井忠挙(ただたか)と徳川綱吉の関係です。酒井忠挙の父、大老・酒井忠清は、4代将軍家綱時代には下馬将軍といわれたほど権勢を誇った人でしたが、綱吉によって失脚させられ、息子の忠挙も連座させられました。このような因縁のある将軍を相手に、一介の武芸者の謁見などという呑気なことを思いつくものでしょうか?こうした二つの疑問が、私がこの一件を調べようと考えた出発点です。

前置きが長くなりましたが、いよいよ検証に入りましょう。

1回目の御目見願書の提出日付は、「宝永六年己丑」としかないので、何月何日かまでは不明です。「己丑」というのはこの年「宝永六年」の干支です。今日では干支といえば十二支を意味しますが、「己丑」は十二支ではなく、十干十二支といわれるもので、60年サイクルになります。

         伊東甲子太郎像
   伊東は元治元年(1864)に改名。ま
   た、甲子園球場は大正13年(1924)
   に設立。いずれも干支は甲子である。
戊申(ぼしん)戦争の「戊申」、伊東甲子太郎(新選組)や甲子園球場の「甲子(かっし)」などは、すべてこの十干十二支から名付けられたものです。

ところで、肝心の綱吉が死去したのは宝永6年1月10日です。綱吉に願書を提出したのであれば、宝永6年は10日間しかありません。死が近い綱吉に、1月10日までに謁見を申し入れたと考えるのは、なんとも不自然です。綱吉は、前年の12月25日を過ぎてから麻疹(または疱瘡)にかかり、1月8日に病状が悪化、1月10日に亡くなりました。綱吉の死はただちに発表されて、その月のうちに新将軍家宣が「生類憐れみの令」の廃止を宣言、綱吉の葬儀、と立て続けに実施しています。綱吉の死は公然だったわけです。


まして、この謁見をプロデュースした酒井忠挙は、宝永6年にはすでに隠居中とはいえ、溜間(たまりのま)に詰める宿老として政治顧問的役割を担っていたのですから、綱吉の病状を知らないはずがありません。1月11日には幕府から諸大名に対して、徳川家宣の住む西の丸に総登城の御触れがでていることから考えても、綱吉の死の翌日には、諸大名の知るところとなったのでした。つまり、
宝永6年に提出された願書なら、綱吉ではなく新将軍家宣が目当てと考えるのが自然です。


決定的なのは、伝書ではこの1回目の結果を「文照院様御他界に御座候」と述べている点です。通説では、これを「綱吉死去により実現しなかった」と解釈しているようです。言うまでもなく、「文照院様」とは徳川家宣の贈名です。つまり原文に、
「家宣(文照院)死去により実現しなかった」と書いてあるにもかかわらず、何故か綱吉を持ち出してきているのです。ちなみに綱吉は「常憲院」です。

家宣からの謁見許可を待っていたところ、家宣は将軍在位わずか4年足らずで急死してしまったため、謁見が出来なくなったというのが真相なのです。

願書の結果がわかるのに3年以上もかかるというのは、当時の幕閣の事情があります。ともあれ、今は事実の検証を優先しますので、我々の解釈は後回しにします。



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