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無外流兵法譚
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 将軍謁見事件の真相  第五回


では、幕閣(大老・老中・若年寄)らが反対するはずのない、この酒井忠挙のプランを潰したのは誰でしょう?ズバリ言いましょう。
家宣の側用人・間部詮房(まなべあきふさ)しか考えられません。

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間部詮房座像(浄念寺所蔵)
家宣の側近の間部詮房や新井白石(あらいはくせき)にとっての課題は、強烈な個性を持っていた綱吉に代わって、どのように新将軍家宣にカリスマ性を持たせるか?ということでした。そこで、彼らが実施したことは、幕府の儀式では家格に応じた武家装束を定めて、大名が自分の序列を自覚して将軍が最高権威であることを一目瞭然にしました。また、葵紋の権威付けも同時に行われました。さらに、家継と霊元法皇の皇女吉子内親王(二歳)との婚約も行われたのです。歴代将軍のなかで、はじめて皇女を正室に迎えることで権威付けをしようとしましたが、これは家継の死去によって実現しませんでした。間部が、新陰流や一刀流の上覧を復活させたのは、それらの流派が将軍の権威付けに役立つと考えたからなのです。
こうした政策路線でしたから、新井白石像一介の浪人の兵法上覧など、たとえ大老や老中が許可しようとも、間部詮房には許せなかったはずです。

その後、家宣の新政が始まりますが、結果的には酒井忠挙が期待した政治とはほど遠いものでした。酒井に限らず、譜代門閥出身の人々は、綱吉政権が終われば側用人が実権を持つ政治が終わると期待していました。しかし家宣は、能楽者上がりの間部詮房を側用人として重用し、老中らに政治の実権は戻ってこなかったのです。

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徳川家継画像
(徳川記念財団所蔵)
家宣・家継が将軍だった八年足らずを「正徳の治」と呼びます。この評価はさまざまですが、間違いなく政治・経済が停滞した時代でした。側用人の間部詮房に対して、老中ら幕閣門閥グループが対立した構図になります。学者では、前者に新井白石が、後者には白石と犬猿の林信篤(大学頭)が加わります。さらに、大奥では家宣の側室である月光院(家継の絵島(2006年映画「大奥」より)生母)が前者に、家宣の正室の天英院が後者に加わります。そんなとき、正徳四年に、老中らが、間部ら側用人グループの追い落としに成功した「絵島生島(えじまいくしま)事件」が勃発します。
その幕閣の対立の最中、肝心の家継が八歳で亡くなってしまうのです。

さらに、酒井雅楽頭家(うたのかみけ)でも不幸が続きました。
酒井忠挙の長男の酒井雅楽頭忠相(ただみ)が四十二歳の若さで亡くなってしまったのです。
さらに、嫡子とした酒井忠相の子・親愛(ちかよし)が、参勤交代にも耐えられないほど病弱でした。まさに御家存亡の危機だったのです。
もはや、酒井忠挙にとって、辻月丹の将軍謁見への夢など、遠い昔のことだったに違いありません。

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