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 「甲冑着用絵図」(松代城所蔵
  無外流とは無関係だが、ページ
  数と絵の枚数が同じだったので
  ここに載せた。
無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第1回
   
   〜 江戸に立つ辻無外 〜



延宝2年(1674)、辻月丹はついに江戸の土を踏みました。江戸に到着して間もない頃、辻月丹が訪問した場所が二ヶ所あります。ひとつは江戸城、もうひとつは、将軍家剣術指南役だった大和柳生藩の江戸屋敷です。どちらも外から眺めるだけで、何も起こりませんでした。しかし、はじめての江戸での体験は、辻月丹の人生に大きな影響を与えたはずです。
柳生屋敷のことは後述するとして、ここでは辻月丹が江戸城を訪れて、どのようなことを思ったか推測してみましょう。


              明治初年頃の江戸城大手門
    現在の大手門には石橋が架かっているが、辻月丹の頃は写真
    のように木橋であった。この場所は内堀の内郭部なので、広義
    には城郭の中ということになる。しかし、常識的にはこの大手門
    の向こう側が江戸城と呼ばれる。


















現代の人間が観光で皇居を訪れるとすれば、まずは皇居外苑でしょう。ここには、二重橋や桜田門など歴史的な建築物も多く、まさに東京観光の象徴と言えます。明治以降に、皇居の正門が江戸城の西之丸御門に変更されたことに伴い、外苑一帯が皇居の顔として整備されました。
しかし、江戸時代であれば、江戸城の正門はもちろん大手門です。辻月丹の時代なら、江戸城で真っ先に行くとすれば当時の正門である大手門のはずです。
辻月丹は、大手門前でさまざまなことを目撃したことでしょう。

江戸城は、すでに明暦の大火で天守閣を焼失していたものの、内郭の石垣に使用されている巨大な石や堀の壮大さは日本有数であり、さすがは将軍の城と感嘆したに違いありません。

江戸時代中期までは、大名が登城する玄関として大手門が唯一の入り口でした。大手門だけに下馬札があり、大名といえども登城の際にはここで馬から降りなければなりません。家臣もここで待たされるため、諸藩の供侍で混雑した光景が目撃されたはずで、同時に将軍の権威の象徴としてこの場所が意識されていたのです。


      式日本大手登城之図・部分(国立歴史民族博物館所蔵)
   大名たちが大手門から登城する様子。この図の右側に酒井家の上
   屋敷がある。この図の点前の茶色い壁のような建築物が下馬札で
   ある。

さらに大手門前には、当時の大老だった上野厩橋城主・酒井雅楽頭忠清(うたのかみただきよ)の広大な上屋敷があり、酒井忠清への面会希望者で大行列が出来ていたと言われます。酒井忠清は、将軍・徳川家綱を凌ぐ権力者とされ、下馬札に住むもう一人の将軍という意味から、「下馬将軍」と呼ばれていたと言われています。

酒井忠清の酒井雅楽頭家(うたのかみけ)は、江戸時代を通じて彦根藩井伊家とともに譜代大名筆頭とされた門閥です。本当に「下馬将軍」と呼ばれていたのかは不明ですが、延宝4年に発行された武鑑である「正極江戸鑑」(えどかがみ・下写真)でも、酒井忠清が宿老・井伊直澄(なおみ)よりも上位に位置し、幕閣の最高権力者だったことを物語っています。


正極江戸鑑(延宝4年版)


「正極江戸鑑」にある幕閣の順位は、次の通りです。

1. 御家老   酒井雅楽頭忠清  少将
2. 御太老   井伊掃部頭直澄  少将
3. 御老中   稲葉美濃守正利  侍従
           久世大和守広之  侍従
           土屋但馬守数直  侍従
           阿部播磨守正能  四品
4. 御老中並  酒井河内守忠明  侍従
5. 御留守御城代   空席

とくに興味深いのは、「老中並」の酒井忠明です。忠明は酒井忠清の嫡男で、彼こそが後に忠挙(ただたか)と名前を改め辻月丹の最大のパトロンとなる人物です。この頃はまだ部屋住で河内守を名乗っていました。しかし「老中並」に幕政に参加していたことは明白で、しかも殿席は溜之間(たまりのま)で侍従ですから、雁之間(かりのま)で四品の阿部正能(まさよし)よりも上席になります。
また、「留守御城代」という役職は一般には「大留守居」という名前で知られている役職で、大名で言えば城代家老に匹敵します。参勤交代で江戸詰めの藩主に代わり、国許の行政を預かるのが城代家老ですから、家臣のなかでは筆頭の身分になります。この城代家老としての役割も、戦国時代の酒井家に課せられた任務だったのです。
江戸時代初期には将軍が京都上洛や日光参詣で江戸城を空けることもありましたが、この頃は有名無実の職制でした。


 上毛カルタの酒井忠清。
 群馬県の隠れたベストセ
 ラー「上毛カルタ」に、下
 馬将軍・酒井忠清が登場

歴史の教科書では、「江戸時代の行政最高職は老中で、その上に臨時で大老が置かれることがある」という通り一遍の説明がされますが、じつはそれほど単純ではありません。
「老中並」「大留守居」という老中に匹敵する役職も実際に存在していたのです。また、酒井家や井伊家のように、老中よりも高い格式を持った家も存在しており、こうした藩主は将軍直々に諮問される機会も多かったことから、譜代大名のヒエラルキーは一様ではないことがわかります。
これは大老についても同様のことが言えます。幕府役人の任免を記録した史料である「柳営補任」(りゅうえいぶにん)によれば、江戸時代を通じて老中より上に置かれたのは「太老」(または「執事」)と家老(または「元老」)と呼ばれた2つの流れがあったことがわかります。
「太老」は、
井伊直政、本多忠勝、榊原康正、松平忠明、保科正之、井伊直澄、榊原忠次、井伊直興で、
「家老」は、
酒井忠世、酒井忠勝、酒井忠清、堀田正俊、柳沢吉保、井伊直幸、井伊直亮、井伊直弼、酒井忠績、
となっています。この2つの職制の違いはよくわかりませんが、「太老」は政務後見タイプ、「家老」は政策実務タイプと言えそうです。江戸時代の大老の職制については、そう遠くない時期に日本史の教科書は書き換えられるかも知れません。



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