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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第2回

  〜 大老 忠清 下馬将軍 〜


辻月丹が目撃した将軍の権威は、酒井忠清の権勢と重なって見えたはずです。なにしろ、大名たちが酒井家の屋敷の前で下馬するわけですから、酒井忠清の威光を畏れての行為のように思えたかもしれません。

     上毛カルタより
ここで後々の理解をスムースにするために、酒井雅楽頭家とはどのような家なのかを簡単に見ておきましょう。

新井白石が著した「藩翰譜」(はんかんふ)によれば、酒井家の先祖について、次のように説明しています。

14〜15世紀頃、徳阿弥(とくあみ)という時宗の遊行僧(ゆぎょうそう)が、三河坂井郷でもうけたのが酒井広親(雅楽頭または雅楽助)で、松平郷でもうけたのが松平泰親(やすちか)と言われています。この松平泰親が徳川氏の先祖となる人物で、近隣の豪族を従えていくのです。そのなかで、酒井広親は松平氏の譜代家臣の中でも特別な家とされ、子孫の代まで松平家の家老(おとな)と扱うことを約束されたと書かれています。
つまり酒井雅楽頭家と徳川家とは先祖が異母兄弟であり、例えば「寛政重修諸家譜」では松平家家譜の次に、「松平別流」として酒井雅楽頭家を筆頭に載せているのもこういう理由があるからです。
酒井家には左衛門尉家(14万石)や讃岐頭家(13万石)をはじめ多くの庶流がありますが、幕府が編纂した系譜では雅楽頭家(15万石)が酒井家の嫡流であることがわかります。


             
酒井家系図
  「藩翰譜」「寛政重修諸家譜」などには、雅楽頭家が徳川家
  の家老であること、左衛門尉家(庄内藩)や讃岐守家(若狭
  小浜藩)に対して雅楽頭家が酒井家の嫡流であることが記さ
  れている。


徳川家康の家臣には、徳川四天王家(酒井左衛門尉家、井伊家、本多家、榊原家)をはじめ、軍団を率いての武功で知られた家臣がキラ星のごとくいたにもかかわらず、譜代家臣の中で最初に城主になれたのは、あまり武功では知られていない酒井雅楽頭正親(1521〜1576:西尾城主)でした。
確かに酒井正親には西尾城を攻め落としたという武功はあるものの、城主第1号になれた勲功は、長年の筆頭家老としての貢献だったと考えられます。また、酒井正親を城主とすることに武功派の家臣たちからの不満が出なかったことからも、酒井家が譜代家臣の中でも特別な家だと侍大将たちに認識されていたことを意味します。

本能寺の変の直後に、徳川家康が伊賀越で脱出するとき、また朝鮮出兵で家康が軍団を率いて九州に遠征するとき、城代家老として後方支援をしていたのが正親の子・酒井雅楽頭重忠で、その子酒井忠世は徳川秀忠の筆頭年寄(後の老中首座か大老に匹敵する役職)となります。酒井忠世の子で忠清の父である酒井忠行は37歳という若さで死去したため、しばらく雅楽頭家では不遇が続きましたが、代わりに叔父の酒井忠勝が大老として徳川家光に使え、酒井宗家の嫡男である忠清を盛り立てました。


    安政3年の地図に見る、大手門前の酒井家上屋敷(右)と添屋
    敷(左)。この地図にも記載のように、大手門前に1万3千坪以
    上の屋敷を持っていた。まさに徳川家の家老である。
    酒井家の屋敷内には平将門の首塚があり、もともとはこの地に
    神田明神があった。
    なお、右隣の葵紋の屋敷は、一橋慶喜の屋敷、その下の丸に
    片喰(かたばみ)は池波正太郎の小説で有名な庄内の酒井左
    衛門之尉家の屋敷である。

酒井忠清は、若干29歳で先任の老中たちを飛び越えて、いきなり老中首座として入閣します。「先任の老中たち」とは、知恵伊豆として有名な松平伊豆守信綱や清廉潔癖・頑固一徹で知られる阿部忠秋など、いわゆる「寛永の偉老」の面々でした。


   「慶安太平記城外之段」から9代目・
   市川團十郎が演じる松平伊豆守。
   「知恵伊豆」と呼ばれる松平信綱は、
   時代劇では幕府最高権力者のよう
   に描かれるが、実際は新任の酒井
   忠清のほうが上席である。
江戸時代初期には将軍が京都へ上洛することも多く、そのときに大留守居役として城を守っていたのが家老の酒井忠世であり、やがて徳川家綱の時代からは江戸を空けなくなるので、酒井家は将軍名代として上洛して、天皇に将軍遷下の報告をする役割を担うこととなります。酒井忠清は、家綱、綱吉の将軍遷化のときに、将軍名代として天皇に拝謁しています。

辻月丹が江戸にやって来た延宝2年(1674)は、酒井忠清の絶頂期でもあり、月丹の生涯を通じて酒井家という大名が特別な存在だと意識されたに違い有りません。
今日の我々には想像も出来ないことですが、この頃の酒井忠清の繁栄を考えれば、酒井家の剣術指南役になることは、将軍家の剣術指南役である柳生家に匹敵する名誉だと考えたとしても不思議ではなかったはずです。もちろん、月丹がそこまで意識したかは計りかねますが...。

前置きが長くなりましたが、いよいよ「辻月丹物語・噴火の章」の始まりです。




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