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無外流兵法譚
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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第4回

〜延宝2年、心法を学びに江戸へ〜


辻月丹が江戸にやって来た時期については、延宝2年(1674)に26歳で山口流剣術の免許を得て間もなくという説(「雑話筆記」)と、40歳を過ぎてからという説(「月渓随筆」)があり、現在でも結論は出ていません。

確かに、辻月丹が大名家の公文書に登場するのは宝永年間以降であり、これだけを考慮すれば40歳を過ぎてからという説と合致するのです。
たとえば、もっとも古い記述のひとつとしては、土佐藩4代藩主・山内豊昌の剣術指南をしたという事実です。幕末に土佐藩剣術指南役の都治家が山内家に提出した家系図には、辻月丹については「豊昌公之御代御出入リト伝ヘリ」とある以上、「日本歴史人物事典」にある5代藩主・山内豊房の頃ではなく、4代藩主の頃には知られていたと考えるべきですが、辻月丹が40歳代の頃には山内豊昌は存命ですから、40歳を過ぎてから江戸に来てもじゅうぶん間に合います。

しかし、40歳以降説を採用するとどうしても説明が出来ないことがあります。
それは、麻布吸江寺の開山・石潭良全(せきたんりょうぜん)との交流です。吸江寺の初代住職である石潭が亡くなる延宝8年(1680)には、辻月丹は32歳ですから、やはり40歳より前に江戸に到着している必要があるのです。
石潭が辻月丹の禅の師匠だったことは、「雑話筆記」「月渓随筆」という、筋の異なる二種類の史料とも認めていることですから、辻月丹は32歳より以前から江戸に在住していたと考えて良いでしょう。

つまり、辻月丹が江戸にやって来るのは、「雑話筆記」にある通り延宝2年と考えるべきであり、延宝〜天和〜貞享〜元禄年間まではほとんど無名の剣客だったと考えるのが自然です。

では、土佐藩を中心に「40歳を過ぎてから」という説が広まったのはなぜでしょうか?おそらく、土佐藩邸に出入りしたのが40歳以降だったため、それが土佐藩では、江戸に来たことも40歳以降と間違って伝わったのでしょう。

ここで、「雑話筆記」で、この部分の記述を確認しておきましょう。

延宝二年二十六歳ニシテ山口卜真斎、其ノ術焚シタルヲ知リ累年怠惰ナキヲ感ジテ一流ノ神秘一事モ残ラズ授ケル旨、神文ヲモツテ免許ス。然レド月丹ナオ心ニ快トセズ、程ナク江府ニ来テ禅師ヲ求ムト云ヘドモ、心ニ感慨スル師ナシ。

辻月丹(この頃の名前は兵内)の熟達を認めた山口卜真斎は、延宝2年に流儀のすべてを伝授したということです。
また、この頃から、辻月丹は「無外」という武号を使い始めます。

「雑話筆記」では、辻月丹が山口流剣術の免許を取得したにもかかわらず、納得出来ない点があったらしく、江戸にやって来た、江戸に来て禅(心法)の師匠を探したところ、良い師には巡り会わなかった....つまり江戸における最初の目的は心法の修行であり、しかしすぐには良い師に出会えなかった、と述べているのです。
土佐系の史料によれば、ここに登場する山口卜真斎は2代目卜真斎で、その前には伊藤将監と名乗っていたそうですが、とりあえずここではそれ以上は突っ込みません。


  沢庵和尚坐像(芳徳寺蔵)
  吉川英治の小説では、宮本
  武蔵の師として描かれてい
  るが、史実は柳生宗矩の禅
  の師であった。
辻月丹が山口流剣術に不足していると感じたものは、何だったのでしょうか?
どうやら、「上り兵法を下り兵法にしてみせる」などと意気込んでのことではなさそうです。
おそらく、山口流剣術特有の、霊的で妖術的な部分からの脱却があったのでしょう。密教では「有」を指向するのとは対極的に、禅は「無」を目指すと言われます。この頃に、無外という武号を名乗り始めたことと関係があるのかも知れません。
また、「雑話筆記」を単純に解釈すれば、例えば徳川将軍家の剣術指南役だった柳生宗矩が沢庵宗彭(たくあんそうほう)に私淑して「兵法家伝書」を完成したように、辻月丹にとっての沢庵和尚を探していたと読むことも可能です。
しかしながら、17世紀後半に発生する「剣術心法論」と呼ぶべき流れに当てはめて解釈すれば、辻月丹が探していたのは沢庵ではなく、むしろ月丹より一時代前の剣客・針谷夕雲(はりがやせきうん)が師事した虎伯和尚(虎伯大宣・東福寺第240世)のほうが、そのイメージに近い気がします。


   虎伯禅師像(龍光寺蔵)
 虎伯大宣は、徳川家光に禅
 の講義をしたことで有名だが、
 「無住心剣術」の名付け親と
 しても知られている。
新陰流の柳生宗矩が「兵法家伝書」で、あくまでも剣術の実際の技法に即した形で心法論を説いたのに対して、無住心剣術の針谷夕雲は、徹底的に技法論を廃し、自分がそれまで習得した諸流の教えさえも捨てて、自己の禅修行から得た境地から剣術を「一法」に昇華させようとしたのです。剣術から技法論を徹底的に排除するこうした姿勢は、17世紀末の剣術家に見られる特徴のひとつで、ほかには徳川四天王の末裔である榊原家の剣術指南役だった法心流の金子夢幻などが有名です。




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