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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章    第5回

 〜辻無外、吸江寺の石潭を知る〜



         現在の普光山吸江寺
           (東京都渋谷区)
辻月丹は、自己の剣術を、禅による心法の修行を実践することによって昇華させようとし、そのスタートが延宝2年(1674)の江戸だったのです。
しかし、すぐには良師に巡り会えなかったようです。

ようやく辻月丹が辿り着いたのは、麻布桜田町にあった吸江寺という禅寺でした。この寺院は元禄年間末に現在の渋谷区東4丁目に移転していますが、当時は現在の元麻布3丁目付近にありました。月丹が師事したのは開山の石潭良全という住職で、禅だけでなく孔孟・諸子百家にいたるまで、漢学全般の手ほどきを受けたそうです。

石潭良全は、一糸文珠に師事した臨済宗の禅僧で、当時の吸江寺は戦国武将・福島正則の甥の福島忠政一族や、同じく戦国武将の京極高知の六男・京極満吉の一族の菩提寺でした。また、承応〜元禄時代は一関藩・田村右京太夫家の菩提寺になり、渋谷に移転してからは安中藩主・板倉周防守家の菩提寺にもなります。また、吸江寺の水谷昌史氏のお話では、開山のごく初期には、幕府の公用馬を専門に供養するための寺院だったそうです。


    石潭禅師像・部分(吸江寺所蔵)
  この像は石潭良全が亡くなる直前に描
  かれたと伝えられており、まさに辻月丹
  に禅を指導していた頃の姿である。
「筆話日記」によれば、辻月丹と石潭の出会いは、他人の心を見通してどんな悩みも解決することで評判だった石潭を、辻月丹が仲間に連れられて冷やかしに吸江寺まで出かけたことが切っ掛けとなっています。
石潭が「剣術とは何処(いずこ)にありや?」と尋ねると、月丹が「喝とも言わぬ処にある」と返答し、石潭がやり込められた問答の様子が紹介されています。石潭と辻月丹の師弟関係は、延宝8年6月23日に石潭が亡くなるまで続きました。
石潭は臨終に際して、辻月丹と語りながら座禅を組んで瞑目したのち絶命したそうです。

ところで、辻月丹は広い江戸のどこに住んでいたのでしょうか?

通説として登場するのは、麹町九丁目・番町・小石川ですが、このなかで考えにくい場所は麹町九丁目です。

その理由の第一は、麹町九丁目と記述した江戸期の史料が存在しないことです。

        分間江戸大絵図
  この頃でも、まだ麹町は明地となっ
  ていたことがわかる。地図中央右側
  が赤穂浪士が潜伏した平川天神付
  近。
第二に、辻月丹の頃の麹町九丁目は火除け地ですから家屋は存在せず、ここに人が住み出すのは正徳年間末か享保年間以降だからです。余談ですが、赤穂浪士たちの潜伏基地として必ず麹町が登場します。これは史実ですが、この麹町はいわゆる麹町通りとはまったく異なる場所で、平河天神付近の町屋です。江戸時代初期に麹町に住んでいた人達が、強制的に平河町に移転させられたため、元禄時代にはここを新麹町などとも呼んでいました。赤穂浪士たちはこの新麹町に潜伏していたわけです。それが質の悪い時代小説になると、赤穂浪士が麹町通りに面した町屋に潜伏していたことになってしまいます。
もちろん、住むことが絶対に不可能とまでは言い切れませんが、少なくとも晩年を除けば、辻月丹が麹町に住んだという可能性は低いでしょう。

辻月丹の麹町在住伝説が誕生した原因はどこにあるかと言えば、やはり「雑話筆記」になります。
「雑話筆記」では辻月丹の住まいには触れていませんが、月丹から無外流剣術を継承した都治記摩多資英(きまたすけひで)が麹町に住んでいることが記述されています。

門弟流ヲ広クシテ辻記摩多ト号シテ麹町ニ住ス。

これが、辻月丹の話にすり替わったと考えられます。

おそらく、都治記摩多は享保年間になってから麹町に住みついたと考えられます。
では、辻月丹と記摩多が、ともに麹町に住んでいた可能性はなかったのでしょうか?

「雑話筆記」が出版されたのは、辻月丹が亡くなって3年後の享保15年(1730)です。
ここで語られる辻月丹の物語は、すべて過去のことなのに対して、都治記摩多についての記述だけは現在進行形です。
つまり、都治記摩多を説明するために、はじめて麹町という記述が登場するということは、辻月丹は麹町には住んでいなかったと解釈できます。なぜなら、辻月丹が麹町に住んでいたのであれば、都治記摩多の登場を待たずに麹町の話題に触れるはずで、二人が別の場所に住んでいたからこそ記摩多が登場するときにはじめて麹町とコメントできるのです。さらによく読めば、辻月丹の住まいについてまったく触れていないのは、筆者と読者の間に暗黙の了解が存在している...書かなくてもわかるでしょう!という意味だとも解釈できます。

そこで、我々は「雑話筆記」をもう一度読み返してみました。


            安政3年の麹町九丁目付近の地図
    麹町通り両側のグレーの部分が町屋である。しかし、元禄・宝永
    年間には火除け地として一部が明地にされていた。

すでに「辻月丹物語・青雲の章」で紹介したように、「雑話筆記」は神田紺屋町に住む神田白竜子が享保15年(1730)に出版したもので、白竜子が大名屋敷に出入りしながら見聞したことを中心に執筆・編纂したものです。全20巻あり、第7巻の「辻無外之話」が辻月丹の物語です。ちなみに第7巻の構成は次のようになっています。

 雑話筆記巻之七 目録
  一.小野家甕割太刀之話
  一.鉄砲長短利害之話
  一.辻無外之話
  一.日夏繁高難スル之話

神田白竜子は軍学・刀剣鑑定の専門家でもありますから、そうした話題も多く取り上げられています。注目すべきは「雑話筆記」に登場する大名家の顔ぶれです。この本に登場する大名で、その回数が突出して多いのは、榊原式部大輔家、加賀前田家、水戸徳川家です。

なぜこの三家の話題が多いのでしょうか?
それは、この三家の屋敷が、神田白竜子の住む神田から近い、小石川から本郷付近に集中しているからだと考えられます。
神田白竜子は、江戸中の大名屋敷をくまなく取材して歩いたわけではなく、自分の家に近い大名屋敷から集中して招かれていたと考えれば納得が出来ます。あるいは、神田白竜子のような軍学を講釈する仕事にも同業者との縄張りが存在し、案外その活動エリアは狭かったのかも知れません。




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