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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第6回

  〜辻無外、小石川に居候する〜


水戸徳川家の上屋敷は、現在の小石川後楽園・東京ドーム一帯、また加賀前田家の上屋敷は、現在の東京大学本郷キャンパス周辺です。
戦国時代の徳川四天王の一人・榊原康政を先祖にもつ榊原式部大輔家は、この時代の播磨姫路城主です。広大な下屋敷が、現在の池之端にありました。三菱財閥の旧岩崎邸と言ったほうが早いかも知れません。

     紺屋高尾(圓楽独演会全集)
   これは三遊亭の独壇場とも言える
   噺。5代目・三遊亭圓楽は、吉原近
   くの寺の息子として生まれ、実家
   の檀家には妓楼が多かったことも
   あり、圓楽の紺屋高尾は絶品と言
   われる。
とくに醜聞で有名なのは8代藩主・榊原政岑で、将軍吉宗の倹約令に反抗して吉原通いを続け、後に高尾太夫を2万5千両で身請けした話はよく知られています。
落語の「紺屋高尾」でもお馴染みのように、高尾太夫と神田周辺は縁が深く、「雑話筆記」が書かれた頃から、すでに格好のスキャンダルだったわけです。

「雑話筆記」が、神田白
竜子が神田・小石川・本郷・上野あたりで見聞きした話という解釈をすれば、「辻無外之話」に辻月丹の住所が出てこない理由として、月丹がこの周辺に住んでいたから「あえてその話題には触れなかった」と考えることができます。

さらに、土佐藩の史料に面白い記述を発見しました。
辻月丹の孫にあたる都治文左衛門資賢の弟子だった高田隆介が、師匠の言葉を口述筆記した文章には、辻月丹の甥孫(せっそん)の辻右平太の消息がありました。辻右平太は、湯島天神の近くで道場を開いていたと記述があります。
この部分を紹介します。


月丹翁ノ甥孫ニ都治宇平太(ママ)ト云フ人有リ。至テ勇猛ナル人也。江戸湯島ノ天神ノ下ニ稽古場ヲ立居ラレシガ、眼疾ヲナヤマレシニ気性ニマカセテ荒キ療治ヲセラレ、終ニ病根トナリ早世セラレシト也。(カッコは筆者)


              江戸名所図会「湯島天満宮」
    辻月丹の甥の辻右平太は、湯島天神下で道場を営んでいた。

そして、もうひとつ面白い記述がありました。
それは、辻月丹が弟子の鈴木伝右衛門の家に住んでいたという記述です。(正しくは「傳右衛門」)
この鈴木伝右衛門という弟子については、それ以上の情報はなく、「武芸流派大辞典」などの無外流系譜にも記載されていません。
いったい何者なのでしょうか?

辻月丹には数多い弟子がいたにもかかわらず、高弟たちを差し置いて鈴木伝右衛門の家を選んだ理由を考えてみましょう。
まず、鈴木には家屋敷があったからだと考えられます。長屋住まいの浪人のような身分の弟子では、師匠を居候させることは出来ないでしょう。また、土佐藩士のような、大名屋敷に住んでいる弟子たちもその候補から除外できます。

江戸でこの条件を満たせる身分の人間は、幕臣しか考えられません。

そこで、「寛政重修諸家譜」を中心に、「柳営補任」(りゅうえいぶにん)や「武鑑」で、この条件に適合する人物を検索しました。
すると、たった一人だけ存在しました。
鈴木伝右衛門盛勝(1674〜1740)という人物です。
鈴木家は代々上野寛永寺の「御墓所人組頭」という身分の旗本で、屋敷は小石川御弓町(現在のフクダ電子(株)新館付近)にあり、さらに下谷長者町(現在の外神田5丁目付近)にも屋敷を所有していました。小石川の屋敷は小笠原佐渡守家のすぐ近くでしたし、下谷の屋敷は湯島天神や上野寛永寺にも近く、また伊勢津藩主・藤堂和泉守家の屋敷や土浦藩土屋相模守家の屋敷もありました。さらに、鈴木家の菩提寺は小石川の蓮華寺にあり、すぐ近くには酒井雅楽頭家の小石川下屋敷があります。
鈴木伝右衛門盛勝の母の実家である太田家は、代々酒井雅楽頭家の家臣で、この頃は酒井忠清の弟である酒井忠能(ただよし:上野伊勢崎藩主)に仕えていました。酒井忠清の嫡男が、後に辻月丹の最大のパトロンとなる酒井忠挙(ただたか)であることを考えれば、ここでも点と線がつながっていることがわかります。


           鈴木伝右衛門宅(小石川御弓町)
  辻月丹が居住していた鈴木伝右衛門の屋敷は、現在医療機器のフク
  ダ電子(株)の本郷新館が建っている。ここから、天和の火災の影響で
  下谷長者町まで引っ越したと考えられる。(図をクリックするとフクダ電
  子(株)のホームページへ)なお、北野天神下には、中山安兵衛が師範
  代を務める一刀流堀内道場があった。
  

辻月丹が鈴木家に住んでいた時期も期間もよくわかりませんが、天和2年(1682)以降であることは間違いないようです。
天和2年12月28日は、有名な八百屋お七の「お七火事」が起きており、翌天和3年2月6日には小石川白山から出火して大火事になっています。これら火事と居候と何か関係あるかも知れませんが、それもよくわかりません。おそらく、もともとは小石川付近に住んでいて、その後小石川御弓町の鈴木家に居候していたものの、火事や天災などの理由で避難し、最終的に下谷の鈴木家に居候したのだろうと考えられます。
なお、鈴木伝右衛門は元文5年(1740)7月10日に67歳で亡くなります。その頃まで辻月丹が鈴木家に生涯住み続けたとは考えにくいことです。甥の辻右平太が近くに在住ですから、その後の月丹も小石川か下谷付近に在住していたのではないかと考えられます。

寛政2年(1790)に書かれた「撃剣叢談」(げきけんそうだん)に登場する「番町」在住についても、明和年間頃の都治家の話ですから、辻月丹とは無関係と考えて良いでしょう。




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