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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第9回

〜  歴史ミステリー 
      無外流創始の真実 B 〜


そもそも、無外流が元禄6年(1693)に創始されたという説は、誰が言い出したのでしょう?

     「武芸流派事典」
    綿谷雪・山田忠史著
我々は、「元禄6年創始説」が誕生したのは昭和30年代後半〜40年頃だと考えています。例えば、「武芸流派事典」「日本武芸小伝」などで知られる綿谷雪(わたたにきよし)の一連の著作を読んでいくと、昭和40年以降になってはじめて「元禄6年創始説」が登場します。「元禄6年創始説」の元祖が綿谷雪だったとは考えていませんが、この説が比較的最近に誕生したということは間違いないでしょう。

ただし、昭和40年頃よりずっと以前に、「元禄6年創始説」が誕生するための下地はつくられていました。それは、中川申一著「無外全書」(昭和13年)です。
「無外全書」では、「元禄6年創始」の記述はありません(何故か「天和2年」に創始と書かれている!)が、「雑話筆記」にある「前後19年の剣術修行」を、「石潭禅師に就いてから19年間の禅修行」に書き換えられているのです。ちなみに大正14年の山田次朗吉著「日本剣道史」には、「前後19年」と正確に記述されています。

「無外全書」には次のように書かれています。

元禄六年は、(辻)無外にとって画期的な歳であった。石潭に就いて禅を修めること十九年、四十五歳であった。心法無碍の自在を得て、豁然として悟りを開いた。

そして、石潭から「一法実無外」の偈を授かるという筋書きです。
「雑話筆記」の「前後19年」が、昭和13年の「無外全書」では「石潭に師事してから19年」に変わり、さらに昭和40年頃には「元禄6年創始説」へ展開していったと考えられます。
ちなみに、綿谷雪の「新撰・武術流祖録」(昭和36年)では、「石潭に参禅すること前後19年」という、折衷案のような意味不明な説が展開されています。

「無外全書」では、辻月丹が26歳で江戸に登場するという内容ですから、ネタ本は「雑話筆記」の筈です。つまり中川申一は、「雑話筆記」を参照しながら、「雑話筆記」を読み間違えているわけです。
いったい、どこで間違えたのでしょうか?

まず、石潭が延宝8年に亡くなった事実を知らなかった可能性があります。
また、(これが最も重要なのですが)
「雑話筆記」が時系列で記述されていると誤解したのだと考えられます。
たしかに、「雑話筆記」では、前述した無外流創始に至までの@〜Dのうち、辻月丹が45歳になるまでの@→A→B→Cまでは時系列に記述されています。しかし、無外流誕生の瞬間であるDは、Cを受けての話題ではありません。これは、我々が石潭の没年を知識として知っているから言えるのではなく、この文章を先入観なしに読めばすぐにわかります。

どんな文章にも、書いた人間のクセが残っていることは論を俟ちません。
「雑話筆記」全巻を読めば、この頃の神田白竜子の文章の特徴として、話題Aを受けて話題Bに転ずるときに、話題Bの始めは「是ヨリ」「此ノ時」「此処カラ」という言葉を遣うことがわかります。
例えば、こういう感じです。

是ヨリ始メ無外流ト改伝シ世ニ流布ス。諸侯健士此ノ門ニ入テ其ノ業ヲ伝ル者多シ。
此ノ時、無外ヲ改メテ月丹資茂ト号ス。

もしDがCを受けての話であれば、Dは「此ノ時」ではじまるはずですが、実際にはDは「或ル時」で始まっており、これはCから続く話ではなく、独立したエピソードであることがわかります。
@→A→B→Cまでの流れと、Dはまったく別に考えるべきなのです。

さらに、「雑話筆記」には辻月丹が45歳で「自得した」と書かれているのに、通説のように「45歳のとき石潭(あるいは神州)に導かれて開悟した」というのもおかしな点です。もし、通説のように偈を授かっての開悟が45歳の出来事であるならば、自得などする必要がありません。


             江戸時代中期の七条袈裟@
   この袈裟は、江戸時代中期のもので、辻月丹が肖像画で纏って
   いるものとほぼ同じタイプである。東林寺(福岡県)所蔵。

そして、「月渓随筆」「筆話日記」などの土佐系の史料では、辻月丹が「四十余歳」で江戸に登場するため、無外流創始も40歳を過ぎてからと混乱して解釈したことも一因でしょう。
ちなみに、土佐系の史料では、江戸に出てきたのは「四十余歳」とは書かれていますが、無外流創始も40歳以降だったという記述はありませんし、江戸で石潭に禅を学んだことは書かれているものの「一法実無外」を授かったと言う記述もありません。つまり、土佐系の史料では、辻月丹が江戸に来る前にすでに無外流を創始していたとも読めてしまいます。
と言うより、そもそも石潭を登場させながら、その死後の「四十余歳」にはじめて江戸にやってくると言う筋書き自体が破綻しています。

もうひとつだけ指摘すれば、「無外流真伝剣法訣」の「万法帰一刀」のなかで、「更ニ参セヨ三十年」という文句があるために、これを30年の修行の後に、「更にもう30年」というイメージで理解してしまったこともあるでしょう。もちろん、「30年+30年」という意味ではありません。

いずれにせよ、通説の辻月丹は26歳で江戸に来るわけですから「雑話筆記」をもとに組み立てられているのは明白です。筋の異なる2種類の史料から独立した2説が生まれたのではなく、同じ史料を読み誤っているだけの話なのです。そして、「13歳」「26歳」「19年間」「45歳」という記述されている数字だけを単純に 26歳+19年間 =45歳 と計算してしまった、そして、それが検証もされずに広まったことが、「元禄6年創始説」が定着した経緯だろうと考えられます。


               神田明神(明治時代初期)

また、「元禄6年創始説」が信じられたもう一つの大きな原因は、無外流自体の複雑な進化の歴史にあると考えています。
「雑話筆記」でも45歳で辻月丹に「自得」するような大きな変化があることが記述されており、この頃の無外流(あるいは辻月丹)には何かが起きていたのです。
では、45歳で無外流はどのように進化したのでしょうか?




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