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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第14回

 〜  腰物奉行 高林昌近  〜


伊藤将監との再会は、まだ無外流を創始した直後ですから、辻月丹が師匠に居合や体当たりを披露したということは、それこそが山口流とは異なる無外流の特徴だったと考えられます。

居合について最も信頼できるのは、都治資幸(すけゆき)の口述です。次のように言っています。

居合トハ鯉口ヲ離ルル迄ノ事ナリ。抜キ放チテヨリハ則チ常ノ兵法ナリ。故ニ居合ノ稽古トテ必ズ時々形ヲ抜キ終ワラヌハナラヌト云フ事モナシ。只幾度モ抜キテハ納メ抜キテハ納メシテ鯉口ヲ離レルマデヲ習練スベシ。去ナガラ心持チガ第一也。

都治資幸の口伝から分かることは、都治道場では「居合」の稽古が実施されていたことです。しかも、「居合」から始まる連続動作、つまり形(かた)らしきものが存在していたことも分かります。これが流儀の目録に載せるような正式なものだったのか、単なるトレーニングが目的の一連の動作なのかはわかりません。
その形らしきものは「居合」から始まり、「居合」と抜刀後の「常ノ兵法」で構成されており、本来は続けて稽古しなければならないものの、抜刀が未熟な者は「居合ノ稽古」だけを分けて習練しなさい、ということです。

また、居合ではありませんが、真っ向切り(兜割)については、辻右平太の逸話が伝わっています。
湯島天神下に住んでいた辻右平太は、辻月丹とともにこの近辺に屋敷を持つ大名家のいくつかに剣術指南に訪れていました。水戸家、前田家のほか、松平大学頭家、阿部伊勢守家、酒井雅楽頭家などです。


           榊原式部大輔家の下屋敷と湯島天神
  池之端の榊原家中屋敷は、上野不忍池と湯島天神のすぐ近くで、こ
  こに18,200坪余の屋敷を構えていた。この地図で榊原家の左隣には
  越中富山藩・前田家と、大聖寺藩・前田家の江戸屋敷があり、さらに
  加賀前田家の屋敷へと続く。この地図の上に進めば、辻月丹が住ん
  でいた下谷長者町がすぐ近くである。
  この地は、現在「旧岩崎邸庭園」(重要文化財)となっています。(クリ
  ックすると東京都公園協会のページに)

不忍池の近くにあった榊原式部大輔家の屋敷には、辻右平太の記録が残っていました。
辻右平太は、当主の榊原政邦に拝謁し、縁側の上に置いた筋兜(すじかぶと)の一刀両断を披露したのです。実際には真っ二つになったわけではなく、兜が打ち砕かれたそうで、天空がつぶされて床板にめり込んだそうです。

辻右平太の性格はかなり荒々しかったようで、他流派の人間が試合に訪れたときには、絶対に生かして返さないようにと、弟子には厳命していました。口癖が「平常、戦場、戦場、平常」とのことですから、その獰猛な剣風は筋兜をスパッと斬るよりも打ち砕いた方が、右平太には相応しい気もします。

また、都治資幸によれば、無外流では「刀劔ノ寸尺ヲ限ルコトナシ」と刀身の長さには寛容だったにもかかわらず、刀剣そのものに造詣が深かったことがわかります。「二ツ目釘」と「鉄ノ目釘」は、どちらも手の内が響くので良くないと言っています。

刀剣に詳しいのは都治資幸に限ったことではなく、辻月丹以来の伝統のようです。
記録に残っている限りでは、辻月丹は老中だった小笠原長重(佐渡守)の中屋敷を頻繁に訪問し、刀剣の話に華を咲かせていたとあります。また、都治資幸が伝え聞いた小笠原家藩邸の模様を次のように書き記しています。

(小笠原)佐渡侯ノ御家臣スベテ当流ヲ学ブ許可ヲ得タル人数々有リ。予テ彼ノ御邸ニ度々参リシ事有リ。刀剣ノコシラヘナド見ルニ多ク一様也。鮫ハ塗リ鮫ヲ用ヒ柄ハ黒糸ヲ(中略)。只実用便利ヲ事トス。皆佐渡侯ノ御遺風トカヤ。


       小笠原佐渡守家と榊原式部大輔家の屋敷周辺
   本郷にあった小笠原家の中屋敷は、榊原家、前田家、小石川の
   水戸家とも近いことがわかる。中央やや上の緑色の一帯が、加賀
   藩前田屋敷の庭園「育徳園」である。

この小笠原長重こそ、元禄から宝永年間にかけて老中として幕閣にいた人で、辻月丹をもっとも庇護した大名の一人です。
忠臣蔵では、討ち入りの晩に吉良上野介邸の茶会に主賓として招かれていたことでも有名です。宝永年間になると、将軍側近の間部詮房、新井白石らと対立した門閥譜代大名の急先鋒として、激しい権力闘争を繰り広げました。

小笠原佐渡守家の中屋敷は現在の本郷4丁目、小石川の水戸家上屋敷と本郷の前田家上屋敷の中間にありました。辻月丹が居候していた鈴木伝右衛門の屋敷からは、50メートルもない距離でした。

ちなみに、もう一人の無外流の庇護者である酒井雅楽頭家の中屋敷は、現在の文京区白山にある小石川植物園の近くにありました。もっとも、酒井家の大手門前の上屋敷にしても、この地の氏神は神田明神ですから、上屋敷も辻月丹の住まいが近かったのです。酒井家上屋敷内にある平将門の首塚と、神田明神の関係はよく知られています。


            神田明神(歌川広重「江戸名所」)
   神田明神は、平将門の霊を鎮めるために建てられたという。その首塚
   を守っていたのは、歴代の酒井雅楽頭家だった。神田明神を江戸総
   鎮守としたのは、入府直後の徳川家康である。

また、刀剣の拵えに造詣が深かっただけでなく、辻月丹以来、都治家が据え物斬りで副収入を得ていたのは確かなようです。

罪人ヲ斬テ刀剣ノキレ味ヲ試ミル事人ノ好キニヨリテ毎度アル事也。

据え物斬りとは、刀剣の斬れ味を確認するために、処刑された罪人の遺体を買い取って、罪人の身体を試し斬りするのです。これは依頼主(=刀剣の持ち主)から謝礼を受け取って成立する商売で、厳密には剣術や居合とは関係ありませんが、剣の名人にはこうした需要を副業として請け負っていたケースが少なくないようです。

じつは、辻月丹の高弟の中には、据え物斬りと深い関係のある人物がいました。高林昌近という旗本です。
高林家の先祖は、信濃の戦国武将・小笠原長清で、高林家は代々武田信虎・信玄・勝頼らに遣えた名族です。武田家滅亡後に、現在の浜松市高林町に根を下ろし、徳川家に遣えるようになります。
高林家は、幕府の腰物奉行の家柄でした。
腰物奉行とは若年寄の支配下にあり、将軍家の佩刀や大名に下賜する刀剣、あるいは、大名から献上された刀剣を「管理」する役職です。単に管理するだけでなく、その刀の斬れ味を確認するのも重要な仕事で、配下の「腰物同心」、その下の「首切り役人」に据え物斬りをさせていたのです。実際に手を下すのは役人ではなく、役人が雇った人物で、元禄年間には初代・山田浅右衛門が登場します。


   山田浅右衛門屋敷(麹町平河町)
辻月丹の高弟が腰物奉行ということは、辻月丹自身も「御試御用」を依頼され据え物斬りを実施した可能性すら存在するわけです。また、高林の仲介で、初代・山田浅右衛門と辻月丹の交流があったと考えても、突飛な空想とは言い切れません。

高林昌近にまつわる逸話としては、将軍家剣術指南役だった大和柳生藩の江戸屋敷に辻月丹が押し掛けたことを、高林がたしなめたというエピソードが残っています。


  柳生対馬守家上屋敷(延宝8年)
  このように、柳生家上屋敷は木
  挽町ではなく虎ノ門内にあった。
辻月丹が訪れたのは、4代藩主柳生対馬守宗在の頃で、上屋敷が祖父宗矩以来の虎ノ門内、中屋敷が芝松本町にありました。辻月丹は、おそらく上屋敷に現れたのだと考えられます。ちなみに、時代劇や講談では、柳生宗矩や十兵衛の屋敷が、たいてい「木挽町」(現在の東銀座)として説明されますが、もちろん間違いです。柳生家の上屋敷が木挽町に移転するのは、5代藩主柳生備前守俊方の時代になってからであり、十兵衛や荒木又右衛門の頃の話ではありません。

辻月丹は、柳生家で立ち合い稽古を求めたところ、門前払いされ、大層憤慨したのでした。これを知った高林昌近に、
「将軍家指南役が、素性も知れぬ者と立ち合って勝利しても、負ければ恥辱、勝ったところで自慢にもならない。道場を営む者にとっては、迷惑千万な話である。それが不満ならば、自ら一流を興すことだ」と諭されたのでした。

通説では、辻月丹は江戸で山口流剣術の道場を営んだ後、無外流を創始したことになっていますが、我々はこれを疑わしいと考えています。山口流を学んだことは疑うべくもないですが、では山口流を名乗っていたかと言えば、そのような史料は存在しません。江戸では山口流を名乗っていたわけではなく、単に剣法指南の看板を掲げていたのでしょう。そして、無外流創始以前から辻無外と名乗っていたため、「辻無外先生が教える流儀」という意味で「辻無外流」と呼ばれるようになったと考えられます。その後、高林昌近からは流派として興すことを勧められ、延宝8年(1680)6月の無外流創始に繋がるのです。



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