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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第18回

〜 閑話休題 「水月」を考える 〜


「水月感応」の前に、まず「水月」という言葉の意味を確認しておきましょう。

「水月」とは、武術では「水月の位」「水月の場」として知られる、間合いを表現する意味が真っ先に浮かびます。前述した「兵法家伝書」の「活人剣」(かつにんけん)では、「水月」は「是極一刀」(ぜごくいっとう)と並ぶ二大理念のひとつとされています。
さらに、「水月之太刀」に代表されるような、たいていの剣術流派に共通する基本技法の名称にも使われています。この言葉自体は、心法の世界にも頻出する言葉なので、武術に興味がある人間にとってはとくに馴染みな用語でもあります。
それ以外にも人体の急所の意味でも使われます。
その他、宗教や一般文化にまで広げると収拾が付かなくなるので、武芸に関係する意味に限定して、「心法」「刀法」「その他」として「水月」の意味を下記のようにまとめました。



心法としての「水月」は、大きく分けて、@敵を写す(移す)媒体としての意味と、A間合いの意味があります(説明の都合上、間合いは心法に分類しました)。厳密には、この2つにも繋がりがあるのですが、ここでは分けて考えることにします。

流派によってもさまざまではあるものの、例えば柳生新陰流の「兵法家伝書」の「活人剣」(かつにんけん)には、次のような記述があります。

(水月とは)人の心のものにうつる事、月の水にうつるがごとくすみやかなと云ふたとえなり。心の速かなること水月鏡像の如しと云ふ経文も、月が水にうつりて、さだかにあれども、水のそこをさぐれば、月はなひと云ふ儀理にはあらず。(中略)か様に心のうつりゆく事を、水月鏡像にたとへて仏は説き給ふと也。経は呉音によむ程に、すいがつ(水月)とよむと也。

ここで柳生宗矩が指摘する「水月」とは、状況に応じて心が反応し、そのまま身体も応じて動く境地を「水月」(すいがつ)と呼んでいるのです。そして、このような俊敏な連鎖を可能にするためには、心の平静を保ち無心の境地を作らなければならないとも述べています。

このとき、「兵法家伝書」の記述で重要なのは、「月の実体はそこには存在しない」という意味(儀理)ではない、ということです。
「兵法家伝書」の「活人剣」には、もう一つの「水月」の意味が登場します。水面に写った月の影を幻影のように捉える考え方で、それに斬り掛かったところで月を斬ることは出来ません。そのような場に己の身を置くことを「水月」とも呼んでいます。
上記の例で「水の底をすくってみたが、そこには実体が存在しなかった」というのは、後者の「水月」の意味です。
「兵法家伝書」では、「水月」を、敵の状況を心に写す媒体として意味の「水月」と、水面に映る幻影から間合いを説く「水月」の2種類を区別していることがわかります。

ここは「水月感応」を考えるときに重要なところです。
とくに漢詩では、幻影に囚われるという使い方ではない、「媒体」の意味で「水月」を使う場合、透明で澄んだイメージの物体と一緒に使うことが多いのです。
次の例をご覧ください。


 故其妙處  透徹玲瓏
 不可湊泊  如空中之音
 相中之色  水中之月
 鏡中之像  言有盡而意無窮


                       「滄浪詩話」より


この例のように、水面に写る月は、透き通った物体と一対で使われれば、「幻影」の意味が薄れることが多いのです。透明だからこそ何物にも遮られることなく写すことが可能であり、写した(移した)後も同じように存在できる喩えとして使われます。どちらにも月が登場することも多いので、多くの人が混乱するところでもあります。

ちなみに、ここで水と鏡が同じ意味で使われていますが、ニュアンスが多少異なるようです。水は形状が定まらず、一滴でも月を写すことが可能であり、一滴は川から大海に通じるという意識が込められています。鏡は割れやすく、曇ると使い物にならないという繊細なイメージを伴います。また、流派によっては、敵の心を写す(移す)のが水で、敵の身体に反応するのが鏡、という使い分けをすることもあります。

こうした心法の教えは諸流に共通のようで、たとえば「一刀流剣術書」では、

水ニ写ル月也。其ノ月影ヲ亦汲ミ、器ニ明ラカニウツス処也。月ハ汲ミツル水ヲ亦汲ムトイエドモ影ヲウツサズト云事ナシ。

とありますし、深甚流の「水鏡」をはじめ、幕末の神道無念流、鏡心明智流、に至るまで、多くの流派に共通の教えが存在しています。

なお、「水月」を敵の太刀が届かないギリギリの「間合い」として表現する場合、柳生新陰流では3尺くらいを意味するようです。
刀身が2.5尺とすれば、敵との距離が3尺というのは、かなり接近した状態です。


水月之構の例
「水月」が刀法の用語として使われるのは、俗に「水月之構」と呼ばれる「晴眼之構」が有名です。流儀によって呼び方はさまざまですが、自分の前に刀で気の結界を示すようなバリアーを張る構えの術理です。
写真のように自分の右側を前に出して斜め立ちすることが多く、一説には、ここで差し出している湾刀が三日月に見えることから「水月之構」とも呼ぶそうです。

我の結界から発生する気に押された敵は、目の前に写る月を実体と思って斬り込んできます。しかし、我は刀身を紙一重で外すことで、敵は月が幻影だったことを知ることになります。そして、その幻影に手を出した敵は、我から斬られてしまうのです。

敵を先に動かすという点では、これは「後の先」と呼ぶことも可能ですし、気の応酬という点では、我の作戦が敵に先んじており、「先々の先」と呼ぶことも出来ます。
月に見立てた刀身は、敵にとっては餌となり、我がまいた餌に敵が飛び付くところを外して斬ることになります。このような基本技法ですから、おなじ術理は多くの流派に受け継がれていて、じつはこの術理の返し技も、多くの流儀で受け継がれているのです。

もっとも有名なのは、柳生新陰流の「九箇(くか)之太刀」のなかの「逆風」(ぎゃくふう)という技です。


               逆風(「新陰流兵法目録」より)
   能の金春七郎が、慶長6年(1601)に柳生石舟斎から授かった絵
   に、後に説明書きを加えたもの。生駒山宝山寺蔵。

逆風は、さかさまに吹く風と云ふことなり。相手晴眼にかまへ居るものに、仕懸けて袈裟がけに前後へ足を蹈みかへて、左の方へ太刀を車にまわして打払ひ、返す太刀に腕を搦んで切るなり。払ふ太刀、振りもどす太刀は。さながら弓手右手へ入違ふて、風の吹くがごとし。此ありさまを逆風と云べき。幾度も敵の打に随って、弓手の足を右手へ蹈み、右手を弓手へなし、敵と反して勝つなり。

                    『新秘抄』「九箇」「逆風」

つまり、水月(晴眼)に構えている相手の餌に喰らいつくよう、我から相手に袈裟懸けに斬り掛かります。我は相手の太刀を打ち払うつもりですが、当然、相手はそれを紙一重でよけて、我に斬り掛かってきます。相手に外された我は、普通なら体勢を崩しているところですが、外されることは想定内なので素速く次の体勢に移ることが可能で、斬り掛かって来る相手の小手に斬り付けるのです。

「水月」も「水月返し」も、どちらも「先々の先」とも「後の先」とも言えるようです。これらが「水月感応」と何らかの関係があるかは、ここまでの説明ではまだ不明ですが、「水月」について知っておくことは無駄ではないと考えます。



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