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辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第19回

  〜  無外流剣法秘訣鈔  〜


前述した都治資幸の口伝にあるとおり、無外流兵法(剣術)には、形(かた)らしきものが存在していたのは間違いないようです。それが、流派の歴史のなかで、その時代の師範が考えたトレーニング目的の一連の動作なのか、目録に記載するような正式なものなのかは、都治資幸の言葉だけから判断することはできません。

我々の結論を先に言うと、少なくとも「無外流真伝剣法訣」の「十則」にあるような名称の形は存在しなかった考えています。

     川崎善三郎重徳
 7歳から竹刀を握り、以後80歳
 を越すまで1日として稽古を休
 んだ日がないとされ、「剣聖」と
 讃えられた。「辻月丹物語 不
 死鳥の章」でも登場する。
その理由は2つあります。
まず、「十則」の教義について説明している土佐無外流の文献が豊富にあるにもかかわらず、どこにも形の存在を連想させる記述が存在しないことです。これは、形が存在していたとすれば、かなり不自然だと言わざるを得ません。
もうひとつは、土佐藩主やその家族に、都治資幸以降の歴代の都治家の当主や芸家(師範家)が、剣技の披露をしている記録の存在です。この時代に藩主家族の前で家芸を披露するということは、現代の我々が考える以上に名誉なことで、もし形が存在していたのであれば、このような晴れ舞台で演武披露しないはずがありません。しかし、実際に披露されたのは、門弟同士の打ち合い稽古と抜刀の演武、藩主や若君の打ち込み稽古の相手を務めた記録ばかりなのです。これは、「十則」が形として存在していたとすれば、まず有り得ない話です。さらに都治資幸より以前の、記録の残っていない月丹、右平太、記摩多、文左衛門についも、この時代が徹底した先例主義だったことを考慮すれば、おそらく同様の打ち込み稽古だけだったと推測できます。

ただし、我々がここで主張しようと試みているのは、形が存在していたかどうか?ということではなく、「無外流真伝剣法訣」が形の解説をしているかどうか?、と言うことです。
これまで述べてきたように、我々は形の解説はしていないと考えています。それは、形が存在しなかったからと言う理由からではなく、上に述べたように「十則」の教義を説明した豊富な文献のなかに、形の記述がないことが最大の理由です。

ここで、「土佐の無外流には形が存在していた」「無外流の形を見た」「土佐では門外不出で密かに伝承されていた」という、よく聞く証言について少し考えてみましょう。


  雑誌「県民クラブ」(高知広報社)に
  連載された、川崎善三郎の証言を元
  に書かれた小説。ここに書かれてい
  る「高橋君」とは、高橋赳太郎のこと
  である。この川崎の証言と、高知新
  聞に連載された坂本土佐海の証言
  は、明治以後の土佐無外流剣術の
  歴史を辿るにあたっての、貴重な史
  料である。

土佐藩に伝わる無外流兵法(剣術)は、前述した森下権平の系統のほかに、土方三丞久治から始まる「土方派」と呼ばれる系統があります。

土方派の8代目として、明治〜大正時代の日本の剣道史に大きな足跡を残した人物に川崎善三郎重徳(1860〜1944)がいます。そして、その川崎の一番弟子と言われたのが、明治38年生まれの坂本土佐海でした。

坂本土佐海は、戦後に高知県剣道連盟理事長などの要職を歴任した、高知県剣道界の重鎮と呼ぶべき人物です。また坂本は、川崎善三郎の数多い弟子のなかでも、もっとも川崎から可愛がられた弟子で、無外流剣法の皆伝とともに「無外流剣法秘訣鈔」という目録を授かりました。

坂本土佐海は、昭和62年の高知新聞紙上で土佐の剣術や師匠・川崎善三郎について、興味深い証言をしています。

もともと土佐藩では、江戸時代を通じて無外流剣術が剣術の筆頭流儀とされていました。ところが、幕末に石山孫六(1828〜1904)によって小野派一刀流が伝えられると、無外流剣術は大きな影響を受けたそうです。それまで、無外流では構えは上段だけで、防具は面・手袋だけで袋竹刀を使用、袴は地袴(じばかま)が決まりとされていたところ、石山の影響で胴、割竹刀を使用するようになり、構えも下段が採用されたそうです。また、地袴についても、一刀流で採用されていた襠(まち)高袴に改められます。


  明治28年大日本武徳会第一回
  剣道精錬証受領者15名の記念
  写真から。
  手前が小野派一刀流の石山孫
  六、奥が加藤田神陰流の松崎
  浪四郎。

石山孫六は、坂本が生まれる前年に亡くなっていましたが、一刀流はその後も高知でしっかりと根を張り続け、坂本が剣術をはじめた大正時代の高知の剣術は、川崎善三郎の無外流と石山の弟子たちが受け継いだ小野派一刀流が、勢力を二分していました。

坂本土佐海が川崎善三郎から伝授された「無外流剣法秘訣鈔」の内容については我々も確認しましたが、「夫レ剣三得、一者獅王剣、二者神明剣、三者萬法帰一刀也」で始まっているもので、「體ノ具ス獅王ト云フ用ノ速ナルヲ神明ト云フ。體用ヲ総テ帰於一萬法帰一ト云フ。一即、三三即一、神明自在....」と続き、「静ニシテ能ク動ク、動イテ能ク速也。速ニシテ能ク成リ、能ク成ル則チ天下無敵」として、以下、「獅王剣」「神明剣」「万法帰一刀」の精神を説いています。

注目すべきは、坂本が川崎に入門した直後から「形」(かた)の稽古ばかりやらされたと述べているにもかかわらず、坂本自身は無外流の形を一度も見たことがないと、一見すると矛盾した証言をしていることです。川崎善三郎が初心者に形稽古から始めさせたのは確かなようで、たとえば坂本の後輩で、川崎に入門した経験がある直木賞作家の田岡典夫(1908〜1982)にしても、最初は「無外流の形の稽古ばかり」だったと証言しています。

坂本土佐海も田岡典夫も、入門当時は形稽古ばかりだったにもかかわらず、坂本は「無外流の形を一度も見たことがない」と主張するのは、どういうことでしょうか?


   高知県立文学館で開催され
   た「田岡典夫展−没後20年
   −」の図録。

これは、田岡典夫が「無外流の形」と呼んだものは、目録に記述するような流派の正式な形という意味ではなく、流派のなかで(あるいは師範の創作で)稽古のためだけにつくられた動作のことを指していると考えれば納得できます。つまり、入門時に習った形稽古の形(=練習用の動作)は、無外流の形と言っても、目録に載せるような代物ではなかったのです。

そして、さらに重要なことは、大正時代から高知県の剣道界を70年以上も見続けた坂本土佐海ですら、川崎善三郎や他の無外流師範の形を見たことが一度もないと証言していることです。
坂本自身、「獅王剣」「神明剣」「万法帰一刀」をはじめとする「十剣」を、形としてではなく、精神の教義として継承しているのです。

そして、坂本は川崎善三郎に詰め寄ったそうです。

『私は、再三、先生に無外流の形をお教えくださいと懇願しましたが、その度に「形なんか覚えなくてよい」。一度として形を見せていただけなかったものです。』
         (坂本土佐海・談)


つまり、坂本自身は「獅王剣」「神明剣」「万法帰一刀」をはじめ「十則」(「十剣」)の目録を師匠から授かったにもかかわらず、これらの形を教えてもらったこともなければ、稽古している人間を一度も見たことがなかったのです。
この証言は昭和62年のものですから、少なくとも大正後期〜昭和全期間の約70年間に、高知県では無外流の形が存在していなかったことは間違いないと考えられます。
「土佐の無外流では十本の形が受け継がれていた」「土佐無外流の形を見た」という話が、UMA目撃談と同じくらいのオカルト証言であることがわかります。
もし事実であるなら、それは坂本土佐海以後に創られた、同名の形ということなのでしょう。もはや、我々の興味とは無縁の世界です。

また、坂本は川崎から「万法帰一刀」を含む「十剣」(項目は「十則」と同じ)の伝授を受けながら、それは精神の教義として継承したことも注目すべき点です。江戸期の史料から考察すれば、土佐では「十則」が失伝したわけではなく、はじめから刀法の形としては教えられていなかったのです。

ちなみに、形が登場するのは、せいぜい森下権平のこんな言葉です。

「形ノ詮議ヲ余リスルハ悪シ。ヒケガツクモノナリ。」

そして、我々が主張しているのは、「無外流真伝剣法訣」が形の動作を語っている物ではないということだけです。

これは、「水月感応」についても同様なことが言えるのです。



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