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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第20回

〜 閑話休題 「秋猴の身」を考える〜


今まで、「水月」という言葉を追いかけてきたのは、これから先の「水月感応」の理解を容易にするためでした。

「水月感応」という言葉で一般に知られている意味は、「己の分をわきまえなさい」という教訓です。
この教訓は、湖が主人公の次のような逸話とともに語られることが多いようです。

あるとき、濁った湖が綺麗になろうと思い付きました。そのためには、天空で輝いている月を湖の中に飲み込めば良いと考えました。湖は月を呼び込もうと盛んに水面を荒立てますが、ますます濁るだけで月を飲み込むことはできません。一計を案じた湖は、今度は自分のほうから天空に上って月を飲み込もうと考えたのです。湖は天空に上るために、さらに波を荒立てます。しかし、水がますます濁るだけで徒労に終わります。湖が自分の限界を知り諦めたときに、水面は静かになり、濁った水は清くなったのでした。さらに、静かになった水面には月の姿が感応して映り、湖は天下の名勝として讃えられるまでになったのでした。

また、同じ逸話から、「相手の心を感応できるように、己の心を清らかで平静な状態に保ちなさい」という教訓にされることもあるようです。

「氷壺」(ひょうこ)とは、「唐詩選」にある「氷心玉壺」(ひょうしんぎょっこ)から来た言葉で、一片の曇りもなく悠然とした心持ちを表現したものです。「氷壺無影像」とは、心が動じていない喩えと考えられます。
また、「水月」の説明で述べたように、人の心を移す速さの重要性を説きながら、感応する実体は透明であることにも意味を重ねているのです。

最後の「猿猴捉水月」は、「摩訶僧祇律」に登場する「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)から来た言葉です。江戸時代の武士であれば、臨済宗の仏教書である「碧巌録」の「猿の影を捉ふるが如し」の逸話を学ぶ機会が多かったはずですから、辻月丹も石潭から「碧巌録」を教わるときに、この言葉に触れたものと考えられます。


              猿公捉月図・部分(長谷川等伯画)
   長谷川等伯は、狩野永徳のライバルとしても著名な、桃山時代
   を代表する画家だった。ちょうど茶人の古田織部と同時代の人
   である。この猿公図に描かれているのはニホンザルではなく、中
   国に生息する野生のテナガザルである。

池の水面に映る月の像をつかもうとした猿が、池に落ちて溺れ死ぬという話で、もっとも知られているのは、目先の幻影に囚われて破滅する愚か者の喩えとしての用例です。己の実力も顧みずに手を出して失敗するという意味から、「手を出すな」という教訓につながることもあります。

なお、「猿猴捉月」の「手を出すな」という教訓から派生して、「手を使わずに、敵の懐に身体ごと飛び込め」という教えに結び付けて解釈しそうですが、これは誤りでしょう。
例えば、宮本武蔵の「五輪書」に出てくる「秋猴之身」(しゅうこうのみ)という教えと、「猿猴捉月」をダブらせて、これは太刀を持ちながらも太刀を使わず、己の身体ごと敵の懐に飛び込む心持ちの大切さを説いていると考えるかも知れません。
無外流の剣風が「先々の先」で「体当たり」や「入り身」(敵の懐に入り込むこと)が特徴だと言っても、いくらなんでもこれは飛躍しすぎです。

ここで、少し脱線しますが、このサイトは宮本武蔵に興味を持っている方にもご覧いただいているようなので、「秋猴之身」について考えようと思います。

秋猴の身とは、手を出さぬ心なり。敵へ入身に少しも手を出す心なく、敵打つ前、身をはやく入るる心也。手を出さんと思へば、必ず身の遠のくものなるによつて、惣身(そうみ)をはやくうつり入るる心なり。手にてうけ合はするほどの間には、身も入りやすきもの也。能々吟味すべし。
                       『五輪書』「水之巻」


     月下猿猴図
  こちらは狩野派で狩
  野與以の作品
このように、厳密には「秋猴之身」とは体当たりではなく、懐に入る動作(入り身)を言います。「五輪書」では、体当たりに相当するのは、「身のあたり」と呼んで区別しています。

ところで、「猿猴」や「秋猴」の意味は把握できているでしょうか?じつは、驚くことに現在出版されているほとんどの五輪書解説本で、とくに「秋猴」にかんしては解説に疑問があるのです。そこで、ここで採り上げておこうと思います。

岩波文庫版、講談社学術文庫版、など、どの五輪書解説本を読んでも「秋猴」の注釈として「手の短い猿」としか記述がありません。これは間違いではありませんが、「手の短い猿」と説明されても、それは架空の生物のことなのか、それとも珍種や奇形ということなのか、文化的な背景を理解していないとまったく分からないと思います。ちょうど良い機会なのでここで説明しようと思うわけです。

「秋猴」の意味をひと言で言えば「手の短い猿」というより「手を出せない猿」ということです。
実りの秋は、猿にとっては食料に恵まれた最高の季節です。昔話の「猿蟹合戦」にも登場する、柿・栗・臼・握飯などが秋の風物詩であるのは、けっして偶然ではありません。また、ニホンザルの繁殖期が秋であることや、この時期に雌猿を多数の雄猿たちが奪い合うことも良く知られています。さらに、陰陽五行説では十二支に季節が割り当てられ、「申」(猿)が秋を表す生物であることも有名で、猿と秋は切っても切り離せない仲なのです。

では、「秋猴」の猿はなぜ「手を出せない」のでしょうか?
それは、秋は繁殖の季節であり、妊娠した雌猿は豊富な食料を前にしても餌を取りに出ることが出来ない、という話に由来しているのです。ちなみに、テナガザルの仲間は、繁殖期はありませんが、手の短いマカクの仲間は秋が繁殖期であることが多いのです。ニホンザルもマカク科に分類されます。

とは言うものの、「秋猴」という言葉は現在ではほとんど触れる機会もなく、能の演目「富士太鼓」に「秋猴が手を出し」というフレーズがある以外は、陰陽道の関連から占星術で見かける程度です。右の例は、「歌曲評註」という謡曲のテキストで「富士太鼓」に登場する単語の解説をしている欄です。この解説はかなり正解に近いですが、謡曲の解説本の中には、ここに「猿猴捉月」の解説を平気で記述しているドンデモ本もあるので要注意です。

日本人の場合、猿といえば、猿の仲間というニュアンスで使用するか、ニホンザルのような馴染みのある猿をイメージする筈です。しかし、中国では猿を「猴」と呼ぶ方が普通だそうで、昔は猿を複数に分類しており、それぞれに文字があてがわれていました。ちなみに「猿」というのはテナガザル科に属する生き物のことで、ニホンザルのような手の短いマカク科の生き物は「猴」と呼ばれて区別されていました。
したがって「秋猴」とは、厳密には手の短いマカクの雌が、孕んでいるために餌を取れない、というところから由来している言葉なのです。では、「秋猿」でも良いのかといえば、やはり「秋猴」でないと意味が通じません。テナガザルの仲間(猿)は繁殖期が一年中なのに対して、マカクの仲間(猴)は秋が繁殖期の種が多いことが由来しているのでしょう。

ここまでの説明で、「秋猴」が理解してもらえたでしょうか?五輪書解説本の「手の短い猿」という注釈は間違いではありませんが、その解説ではまったく意味がわからないわけです。
なお、ある五輪書解説本には、「秋の寒さに猿が両手を身に引っ付けている様子」という解説がありましたが、旧暦の秋が、猿にとって手が出ないほど寒いかどうかは小学生でも理解できます。猿が活動できないほど秋が寒いのであれば、猿蟹合戦という話すら誕生していないはずです。

ここまでの説明でわかるように、「猿猴捉月」の猿も、「秋猴」の猿も、どちらも手を出せない点では同じですが、成立過程がまったく異なるのです。ですから、無外流の「猿猴捉水月」と「体当たり」「入り身」を結びつけるのは正しくないことになります。


         「霜猿」 橋本関雪画
   近代日本画の巨匠である橋本関雪が昭
   和14(1939)年に発表した、我が国の猿
   猴図の傑作のひとつ。
「猿猴」とは猿全般を意味する言葉になります。ただし、日本では野生のテナガザルは生息していませんので、「猿全般=手の短い猿」と考えても間違いではありません。
しかしながら、日本画の世界では、テナガザルを好んで題材にするのです。日本画では、猿の腕と鶴の脚は、長く描くという伝統があるためで、一説には長寿につながるという思いが込められているそうです。したがって、ややこしいことに、日本では「猿猴」とは手の短いマカクを意味することが多いものの、日本画での「猿猴」は、テナガザルを意味することのほうが多いのです。



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