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無外流兵法譚
史談往来 〜 無外流兵法譚
辻月丹はここにいる
 無外流祖・辻月丹物語
      噴火の章   第22回

 〜 無外流真伝剣法訣の世界観 〜


無外流真伝剣法訣十則」の最初に登場する「獅王剣については、有名な「眼中ノ光四方ニ満チテ」で始まる辻月丹自身の口伝が存在しますし、また「無外流剣法秘訣鈔」にもその教義が訥々と述べられています。都治家の教えでも、この教義を教授するにあたり太刀の操作や身体の動かし方にはまったく触れていません。

トリを飾る「万法帰一刀」については、「無外流剣法秘訣鈔」意外にはそれらしい記述が見つからないのでよくわかりません。
しかし、この教義のもともとの意味を考えれば、例えば「一の太刀」のような、なんとなくシンプルな上段切り下ろしのイメージとは無関係であることは容易に理解できます。

十.萬法帰一刀

 問云萬法帰一一帰何處
 答云我在青州作一領布衫重七斤
     更参三十年
 
もともと「万法帰一」とは、『傳燈録』の「僧問。萬法歸一。一歸何處。師云。老僧在青州作得一領布衫重七斤。」(僧問う。万法一に帰す、一何れの所にか帰す。師云く。老僧青州に在って、一領の布衫を作る、重きこと七斤。)という公案がオリジナルで、これが『碧巌録』に取り上げられて、辻月丹に影響を与えたと考えられます。

たとえば、前述した戸部新十郎の解釈では、次のように記述されています。

ものに万法ありといえども、帰することは一つである。剣技もまた、千技万法あっても、斬るということは一つである。この一事を会得するには、三十年の修行が必要だが、それで達せられるものではない。更に三十年修行せよ。そしてまた三十年を。
 
           (戸部新十郎「兵法秘伝考」平成7年)

しかし、「万法帰一」のオリジナルの教義をご存じの方は分かると思いますが、この公案の主張は、前半の「萬法歸一。一歸何處。」ではなく、むしろ後半の「我青州に在って、一領の布衫を作る。重きこと七斤。」の部分です。戸部の解釈の通りであれば、上段切り下ろしのイメージでも構いませんが、主張は後半である以上、シンプルな一刀という意味は通じなくなります。もちろん、辻月丹が、そうした基本的な教義を知らない筈がありません。
そして、「万法帰一刀」が、もし前半の意味で語られたのであれば、この後に続く「更に参ぜよ三十年」との繋がりがよく分かりません。戸部のように、シンプルな一刀を学ぶためには30年の修行が必要だという強引な解釈は、無理があると言わざるを得ません。しかし、後半の意味であればすんなり理解できます。
そもそも、辻月丹自身がこれを書いた延宝8年(1680)の時点では、30年の修行経験などなかったのですから、戸部の解釈が間違いであることは明白です。

前述した荒川恫敬が、都治文左衛門から聞いた話の中に、次のような下りがあります。

凡ソ万物ノ理ハ一也。内外ノ道合スレバ則チ物我一トス。昼夜ノ道通ズレバ死生幽明一タリ。屈伸慎重ノ変ヲ求ムレバ則チ天地山川草木一ナルガ如し。察シテ念(おも)ヒ念ヒテ習ヒ習ヒテ極メ而(しか)シテ表裏貫通其ノ妙ニ格(いたり)テハ文字言語ノ及ブ処ニアラズ。(中略)而(しか)シテ邪念忘想ヲ絶ツ尤モ心法ノ要務トス故ニ月丹壮年ヨリ七十余歳ニ及ブマデ妻ヲ娶ラズ、又金銭ニ手ヲ触レズ。寡欲淡濶其ノ行状ヲ窺ヘバ宛(あたか)モ鏡ニ向フガ如シ。

この文章は、「万法帰一刀」そのものについてのコメントではありませんが、おおよそは合致していると考えています。
もっとも、「万法帰一刀」については、我々も断定できるほど傍証史料を確認できていないので、これ以上は差し控えます。


さて、脱線してしまいましたが、推測ではない例として、「水月感応」に戻りましょう。
まず、「水月感応」が刀法ではないことは明白なので、「水月之太刀」や「逆風」のような、「水月」という用語と関わりがありそうな刀技は、無関係と考えて良いでしょう。
そして、これまでの解釈をひとつにまとめると、「水月感応」は、都治家においては、次のような意味で教えられていたと考えられます。

まず敵の先をとる重要性を認識する。
ただし、敵の仕掛けた表裏に誘惑されて攻撃を急いではいけない。
そのためには、心を不動で、かつ止めない状態に保つ。
そうすれば、敵の状況を素速く感応することができる。
しかし、敵を感応するときには、敵から己も感応されてしまうリスクがあるので、よくよく注意しなければならない。
そのためには、感応したものを心から身体に素速く移すことである。そうすれば、透明な氷壺のように心にはその影は残らない。



  江戸時代中期の七条袈裟A
  こちらは、裏側。表の生地は緞
  子、裏は絹紬。環は象牙で、環
  の台座は、まったく別の絹地が
  用いられている。
  東林寺(福岡県)所蔵。
我々が把握している範囲で考えれば、「無外流真伝剣法訣」の教義に貫かれているのは、心を動かさず、かつ止(留)めないという考え方です。
もうひとつ気付くのは、「○○しなさい」よりも「○○はやってはいけません」というタイプの教義が多いことです。「水月感応」にもその傾向は見られますが、これは「水月感応」に限ったことではなく、「十則」の他の項目にも同様の理屈を見ることが出来るのです。
もちろん、弟子に教授する言い方であれば、同じことを伝えるにしても逆説的な表現になる可能性はあるでしょう。しかし、ひとつひとつを検証していく過程で、逆説的な表現という理由だけでは説明がつかないことに気付きました。このことは、たとえば「兵法家伝書」など他の教義書と比較すればもっと明確になります。

これらを総合的に解釈していくと、辻月丹が後世に伝えようとした「十則」とは、刀法の動作解説をしていないことは明白ですが、武道における通常の心法論とも異なり、全体に「戒め」が貫かれている教義であることがわかります。

そもそも、無外流という名称を考えてみてください。
無外とは、己を無為・無我・無固・無必にさせた境地であるわけで、この境地に剣術で到達するにはどうすべきかを説いたものが「無外流真伝兵法訣」なのです。

ある禅僧は、禅の究極の目的とは「三毒追放」、つまり「妬む・怒る・愚痴る」という心を自分の中から追い放って「無」の状態になることだと述べています。人間が生きていく上で行う、煩悩に囚われた様々な行為を捨てさせるのが禅の目的とするならば、「無外流真伝兵法訣」とは禅の公案を剣術に移したようなものであり、敵に対して行いがちな様々な無用の行為を捨てさせ、いかに己の剣を「一法」に昇華させるかを論じたものだと言えます。

前述したとおり、我々は「十則」のすべてについて裏付ける史料を発見したわけではありません。確認できる史料だけから言及するしか出来ませんが、これが「無外流真伝剣法訣」の全体を貫く世界観だというのが、現時点での我々の結論です。




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