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無外流と忠臣蔵
 
  元禄赤穂事件外伝
  第一回


元禄十五年(1702)12月、播州浅野家旧家臣による吉良上野介(きらこうずけのすけ)邸討入り事件が起きました。後に「忠臣蔵」と呼ばれ、日本人にもっとも愛された物語のひとつです。
今日では、元禄を代表する大事件と捉えられている「忠臣蔵」ですが、無外流や辻月丹とこの事件の接点を探るのが今回のテーマです。


この事件は、人々に「忠義・武士道とは何か?」を問いかけただけでなく、武士にとっての武芸の重要性を覚醒させたと言われています。元禄時代は、武士が武人ではなく官吏になった時代でもあり、この事件が華美軟弱に流れた気風に大きな一石を投じたのです。
大名も武芸の重要性を痛感し、あらためて家臣たちに武芸の鍛錬を奨励しました。
とくに「勝負試合」を重視していた辻月丹の無外流は、入門者が増えたと言われています。

無外流兵法譚
   日本の剣豪(三)旺文社

フィクションの世界では、村上元三の短編小説「辻無外」が有名です。これは、辻月丹の生涯を描いた数ある小説の中でも、もっとも優れた小説です。キャラクターを動かすための動機付けや前振りが巧みで、辻月丹の行動に何ら違和感を感じずに読み進んでいくことが出来ます。辻月丹が、禅修行に没頭してしまう経緯についても、また京都から江戸に出てくる理由についてもストーリーは自然に展開していきます。ただし、それらはほとんどがフィクションなのは言うまでもありません。
例えば、他の小説では「大海を見たくなった」という理由で辻月丹が江戸に出るのですが、村上元三の場合は、辻月丹と吉良上野介との交流という前振りを配置してストーリーを展開しています。面白い着想ですが、もちろん実話ではありません。京都を去るときに、公家の高辻少納言から餞別で「辻」という苗字をもらうという点などは、やや作り過ぎの感があります。


「忠臣蔵」というストーリー自体が、ほとんどフィクションで構成されていますから、ここでは「忠臣蔵」と史実の「元禄赤穂事件」を切り離して考えたいと思います。
まず、史実の「赤穂事件」について確認しておきましょう。


毎年、将軍家の名代が京都御所へ年始の挨拶に参内し、京都御所からは年賀の答礼の使者が江戸へ下向します。この儀式は、江戸幕府の年間儀式の中でも最重要なものでした。
元禄14四年は、勅使(天皇の使者)御馳走役に播州赤穂藩主・浅野(内匠頭)長矩(たくみのかみながのり)が、院使(上皇の使者)御馳走役に伊予国吉田藩主・伊達(左京亮)宗春(さきょうのすけむねはる)が任命され、その指南役に高家肝煎(きもいり)の旗本・吉良(上野介)義央(こうずけのすけよしひさ)が命じられます。

無外流兵法譚
              円山応挙「義士復讐図」より

事件は、元禄14年1月14日、勅使一行が将軍に謁見する直前の江戸城の白書院前の廊下で、浅野長矩が吉良義央に斬り付けてかすり傷を負わせたことに始まります。
この刃傷事件は、将軍徳川綱吉にとっては、思いがけない偶発的な事件でした。浅野の一方的な犯行であり、勅使接待という神聖かつ重要な儀式の日に、御馳走役の当事者が犯した不敬かつ職務放棄という重大犯罪で、浅野家の改易と浅野長矩の即日切腹はやむを得ない処置だったと思われます。
徳川綱吉にとっては、それほど気に留めるような事件ではありませんでした。

事件はこれで終わるはずでしたが、厄介なことに、翌元禄15年12月14日、浅野家旧家臣の一部が、筆頭家老だった大石(内蔵助)良雄を首領に吉良義央邸に討ち入り、吉良の首を取ってしまったのです。
これは、どう考えても赤穂浪人側が一方的に悪く、幕府も彼らを夜盗同然と見なし、全員打ち首という処分案がすぐに出ることになります。
ところが、世間がなぜか犯罪者側に同情を寄せたため、幕府内でも赤穂浪人の処分については議論となり、武士としての面目が保てるような処分(切腹)に落ち着いたというのが真相です。


冒頭に述べたように、この事件が契機となって、無外流が注目されたという話は興味深い話ですが、赤穂事件が注目されるのは、むしろ享保年間になってからです。享保年間になって、「仮名手本忠臣蔵」の上演が始まったこと、徳川吉宗がこの事件を利用して武士の綱紀粛正を奨励したことがきっかけでした。ですから、この事件で無外流の入門者が激増したとは考えにくいです。

なお、赤穂浪士47人の中に、無外流を学んでいた人物はいません。国許藩士は東軍流を学んでいた者が多く、堀部安兵衛(馬庭念流・一刀流)のように江戸採用の武士の流派も判明していますが、無外流は一人もいません。
吉良側の死傷者については正確にはわかりませんが、無外流の剣客が存在した記録はありません。


  月岡芳年(1839-1892)の代表作
 「月百姿」から、小林平八郎を
  描いた「雪浮の暁月」

映画や講談では、 吉良側の剣客といえば清水一学に小林平八郎、と相場が決まっていますが、実像はかなり異なったようです。清水一学は池の架橋の上で3人の赤穂浪士を相手に二刀で立ち向かい、小林平八郎は女物の被物を装って奮戦し、2人とも最期は華々しく雪の上で討ち死にするのが名場面となっています。ところが、米沢藩上杉家が翌日に検分した「大河原文書」によれば、そんなに格好良いものではなく、とくに小林平八郎に至っては、自分は吉良家の家臣ではないと偽って逃げ出そうとしたところを赤穂浪士側に見破られて殺害されたようです。



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